こんにちは。日本の行事を愛するオコシです。
もうすぐやってくる「ひな祭り」の由来について、詳しく調べてみました。
- 1. 1.起源は古代中国「上巳の日」
- 2. 2.なぜ3月3日?
- 3. 3.七夕と同じ「五節句」のひとつです
- 4. 4.なぜ「桃の節句」なの?
- 5. 5.ひな祭りを行う意味は、お祓いと遊び
- 6. 6.なぜひな人形?ルーツは陰陽師も駆使する「ヒトガタ」
- 7. 7.日本でのはじまりは平安時代
- 8. 8.ひな遊び+流しびな=ひなまつり
- 9. 9.最初のひな人形は立っていた
- 10. 10.江戸時代になると盛大なひな祭りが
- 11. 11.一般家庭にも普及したのは元禄時代
- 12. 12.派手なひな人形は禁止!!
- 13. 13.かわいらしい!つるし雛が各地で人気
- 14. 14.おひな様って誰?
- 15. 15.おひな様は左と右、どっちに座る
- 16. 16.登場人物は総勢15人!
- 17. 17.三人官女って誰?
- 18. 18.五人囃子って誰?
- 19. 19.右大臣・左大臣(随身)って誰?
- 20. 20.ひな祭りの時期は? 2回来るの!?
- 21. 21.ひな人形はいつ買う? 誰が贈る?
- 22. 22.ひな人形はいつから飾る?
- 23. 23.ひな人形はいつまで飾る?
- 24. 24.ひな祭りには何を食べる? 縁起のよい食べ物とは?
- 25. 参考資料
- 26. 知ってて損はない!?毎月の雑学や豆知識
目次
1.起源は古代中国「上巳の日」
ひな祭りのルーツは、古代中国で行われていたお祓いの儀式です。陰陽五行説では、「三月上旬の巳の日」は「陽の極まった凶の日」とされていました。これを「上巳の日」と言います。
人々は水辺で手足を洗うなどして、厄を落としていたそうです。これが日本に伝わり、国内の信仰や習慣と融合して、ひな祭りとなりました。
2.なぜ3月3日?
「巳の日」という数え方は、日付に十二支をあてた昔の暦です。上巳の日は3月最初の巳の日なので、本来は3月3日とは限らないのですが、とにかく日本の宮中では旧暦の3月3日に宴が行われるようになったようです。
「曲水の宴」と呼ばれており、宮殿の庭に水を引き入れ、そこに酒杯を浮かべました。教養のたか~い文人が、酒杯が自分の前を通り過ぎる前に和歌を詠んだとか。風流な遊びですね~。
3.七夕と同じ「五節句」のひとつです
ひな祭りの3月3日を「桃の節句」、子どもの日の5月5日を「端午の節句」なんて言いますよね。日本では、古くから1月7日を「人日」、3月3日を「上巳」、5月5日を「端午」、7月7日を「七夕」、9月9日を「重陽」といって、全部で「五節句」とされています。
あれ? 5月5日の端午の節句はよく知られていますが、3月3日を「上巳の節句」とは言いませんよね? ひな祭りが「桃の節句」になった理由は次のお話。
4.なぜ「桃の節句」なの?
新暦と旧暦は、年にもよりますが1カ月以上のズレがあります。2016年の場合、旧暦の3月3日は新暦の4月9日。この頃が、桃の咲く時期と重なりました。桃の実は、古くから魔除けや邪気を払う力があるとされていました。
宮中の宴会では、酒杯に桃の花を浮かべて飲んだのだとか。これまた、風流な桃の節句です。
5.ひな祭りを行う意味は、お祓いと遊び
ひな祭りは、色々な習慣や信仰が混ざり合って、現在のようなスタイルになっています。行事に込められている意味合いもひとつではありません。
「上巳の日」の習慣から見てもわかるように、ひな祭りの起源には、お祓いや厄落としの意味合いがありました。詳しくは次でお話しますが、ひな人形には、女の子に代わって災厄を引き受けてもらう、という意味合いもあります。
また、旧暦の3月3日は今より1カ月ほど遅く、春の訪れを感じる季節。せっかく海や川に来たら、厄を落とすだけでなく、ごちそうを食べたり、水辺で遊んだりと、ピクニックを楽しむ日でもあったようです。
宮中では、曲水の宴と言うとおり、宴会の日でもあり、女児たちのままごとのような習慣も、ひな祭りのルーツのひとつになっています(後述)。遊びもひな祭りの重要な要素だったのです。
ひな祭りとは、要するに「遊んで盛り上がって厄を落としちゃおうぜっ」という行事なのですね。
6.なぜひな人形?ルーツは陰陽師も駆使する「ヒトガタ」
紙などをヒトの形に見立ててつくったのが「ヒトガタ」です。陰陽師が紙のヒトガタで術を繰り出すシーン、映画やマンガではたびたび登場する、あれです。
日本には、ヒトガタに禍や穢れを託して身代わりとして川に流す、という信仰があったとか。ヒトガタは、ほかの信仰や慣習と相まって、今のひな人形のルーツになっているようです。
今でも、ひな人形を川に流してしまう「流しびな」の風習が残っていますが、それに近いのかもしれません。
7.日本でのはじまりは平安時代
平安時代の貴族の間では、小さな人形を「ひな」「ひいな」と呼んで、小さな女の子たちが遊んでいました。源氏物語や枕草子にも登場しているので、広く知られた遊びだったのでしょう。
とはいえ、今のひな人形のように立体的な作りではなく、紙のようなものではなかったのではないかと、人形師の福田東久さんは、「雛まつり 親から子に伝える思い」(近代映画社)の中で推測しています。
8.ひな遊び+流しびな=ひなまつり
ひな祭りの形ができたのは室町時代の後期のようです。ヒトガタを川に流していた流しびな的な習慣と、貴族のひな遊びが結びついて、ひな祭りが誕生しました。
室町から江戸、明治と時代が下って、ひな人形は進化して、立派な姿になっていきます。
9.最初のひな人形は立っていた
室町時代の「立雛」(たちびな、たちいびな)が、ひな人形の原型です。現代のひな人形は、お内裏様もおひな様も座っている姿を思い浮かべますよね(現代でも立っているひな人形もあります)。
立雛では、その名の通り2人とも立っています。男性のほうが、女性よりやや大きく作られていたようです。
10.江戸時代になると盛大なひな祭りが
座ったひな人形が最初に登場したのは、江戸時代の初期です。「寛永雛」と呼ばれるタイプで、男性は高さ12cm程度、女性は少し小さく作られています。この頃になると、公家や大名の家では、盛大なひな祭りが行われていたようです。
11.一般家庭にも普及したのは元禄時代
元禄時代は町人文化が花開いた時期。ひな人形が、ふつうの家庭でも飾られるようになりました。このころの「元禄雛」は寛永雛と比べ、やや精巧で派手にはなっていますが、大きさはさほど変わりません。
この時代、江戸では銀座や麹町、人形町などで、ひな人形を売る市が立ったそうです。ひな祭りの習慣は、だいぶ一般化しましたが、小さな女の子のため、というより大人も含めた女性のための行事だったようです。
12.派手なひな人形は禁止!!
江戸時代中期の「享保雛」になると、ひな人形は高さ50cmにまで大型化します。能面のような端正な顔立ちで、着物や装飾も派手になっていきます。
ところが、時はあの「暴れん坊将軍」徳川吉宗の治世で贅沢は禁止。ひな人形も例外ではなく、高さは24cmまで、道具類の装飾にも制限が設けられるようになりました。
13.かわいらしい!つるし雛が各地で人気
いくら庶民に広がったとはいえ、ひな人形は決して安い買い物ではありません。そこで、江戸時代に生まれたのが「つるし雛」です。端切れなどを使って、色とりどりのかわいらしい雛が作られます。
現代のつるし雛は、人だけでなく花や動物、果物や野菜などデザインが多彩で、とても華やかです。イチゴの赤が厄除けとされていたり、お産の軽い犬には子宝・安産・健康に通じるなど、飾りにはさまざまな意味合いが込められています。
14.おひな様って誰?
ひな祭りの歌に、「お内裏(だいり)様とおひな様 二人並んですまし顔」とあります。男性と女性の人形が一対、これが本来のひな人形で「内裏雛」と呼びます。
内裏とは天皇の住まいのことですが、男性が天皇だというわけではありません。内裏びなは「高貴な夫婦を象徴した人形」(「雛まつり」(近代映画社)より)です。
衣装や髪型、その他の装飾に、決まったスタイルはありません。中には、時代考証に沿って作られたひな人形もありますが、大きくは高貴な方の雅な姿をイメージして作られているようです。
15.おひな様は左と右、どっちに座る
男雛と女雛、どちらをが右で、どちらを左に置くのが正式か? 議論の分かれるところですが、現代では男雛を向かって右、女雛を左に置くパターンが多数派。結婚披露宴での男女の並びと同じですね。
しかし、元々は反対の並びで、男雛が左、女雛を右に飾っていたとか。京都など関西地方の一部では、その風習が残っています。
左右が逆転したのは、大正から昭和初期。西洋の騎士道精神が影響したとか、当時の天皇・皇后の写真の並びにならったためだとか、言われています。
16.登場人物は総勢15人!
「ひな段」という言葉があるように、ひな人形は段飾り、しかも7段に総勢15人を飾るのが典型です。
登場人物は以下の通り。
・男雛(1人)
・女雛(1人)
・三人官女(3人)
・五人囃子(5人)
・右大臣・左大臣(随身)(2人)
・仕丁・衛士(3人)
とはいえ、昨今の住宅事情では大きいひな人形を飾るのは難しいですよね。5段のセットや2~3段の「出飾り」、男雛・女雛だけの「親王飾り」も一般的です。
また、さらに大きい「8段飾り」も販売されています。上記のほか、市松人形を飾る場合もあります。
17.三人官女って誰?
男雛、女雛のすぐ下にいるのが三人官女。官女は貴族やその妃についていた女官のことです。身の回りの世話を焼いたり、困ったことがあれば相談に乗ったり、時には家庭教師役になったり、宮中で活躍していたのでしょう。
3人のうち、2人が立って1人が座る、または2人座って1人立つパターンがあります。いずれにしても、1人のほうを真ん中に置いて、左右対称になるよう並べます。
三人官女はそれぞれ手に道具を持っています。真ん中の官女は三方、島台という台を。向かって右の官女は長い柄のついた酒入れ、左の官女は柄のついていない酒入れ(銚子)を持っています。
官女たちの顔をよく見ると、お歯黒がされていたり、眉が剃られていたり、顔立ちが幼かったりと、それぞれ違いが見られます。眉を剃りお歯黒を塗っているのは既婚の成人女性です。
18.五人囃子って誰?
五人囃子は三人官女のさらに下段。囃子とは能楽などの舞台で演奏された音楽です。五人囃子は、いわば宮中のバンドマンたち。あどけない表情の少年が5人、太鼓や小鼓、笛、扇を持っています。扇を持っているのは、「謡」の担当。今風に言えばボーカルです。
五人囃子は、江戸時代の中期に江戸で生まれました。当時の音楽と言えば、三味線が浸透していましたが、一般の人々、特に江戸では高貴な音楽のイメージは「能」であり、五人囃子となったのでしょう。
19.右大臣・左大臣(随身)って誰?
ひな飾りでは、弓矢と太刀を持った2人を「随身」(お供、護衛官)、「右大臣・左大臣」と呼んでいます。
左大臣のほうが右大臣より位が上です。白ひげを蓄えた年長者風の男性が位の高い左大臣、若武者風の男性が右大臣です。
しかし、朝廷の身分制度ではトップ3に入る左大臣と右大臣(その上が太政大臣)。それほどの殿上人が、武器なんか持っているはずがない! という説があります。
ここからは筆者の推測ですが、天皇を補佐する役目の象徴として武具を携えているのでしょうか。または、護衛官の「ハク」を付けるために、右大臣左大臣と呼んだのかもしれません。
20.ひな祭りの時期は? 2回来るの!?
もちろん地域差はありますが、桃の花が咲くのは現代の暦で3月下旬から4月上旬。昔は旧暦の3月3日にひな祭りを行っていたので、花の盛りとちょうど合いましたが、平成ではちょっとずれてしまいます。
ところで、今も旧暦の日付に合わせたり、4月3日にひな祭りを行う地域があるようです。今でも、島根県の出雲地方などでは、ひな祭りが1カ月遅れでやってきます。
暦に合わせるのか? それとも花か? 「年中行事読本―日本の四季を愉しむ歳時ごよみ」(創元社)では「新暦と旧暦の両方やっちゃえ!」と大胆な提案がされています。ひな祭りが2回来るなんて、なんだかわくわくしますね。
21.ひな人形はいつ買う? 誰が贈る?
女の子が生まれたら、初節句(生まれてから始めての3月3日)に、ひな人形を買い求めるのが一般的です。人形の「こうげつ」さんは、1月~2月中旬までに購入することを薦めています。
古くから母方の実家から贈られることが多く、ひな人形そのものを花嫁道具を母親が持ち込むこともあります。
厳格な決まりではないので、父方の家からでも構いませんし、市松人形を贈ることもあるそうです。
22.ひな人形はいつから飾る?
ひな人形は、早ければ「立春」から飾ります。立春は二十四節気のひとつで、2月4日ごろ(2016年は2月4日)ですから、節分の豆まきが終わったら、すぐにひな祭りシーズンがやってくるということですね。
遅くても、二十四節気の「雨水」のころには飾りましょう。雨水は2月19日ごろ(2016年は2月19日)で、草木の芽が出始めるころとされています。
良く晴れた日の日の高い時間帯、お祝い事ですから、できれば大安など暦の吉日に飾るとよいでしょう。
23.ひな人形はいつまで飾る?
ひな人形をいつまでも飾っておくと女の子の婚期が遅れる、なんて言われることがあります。3月3日のひな祭りが終わったら、4日には片付けることが多いようです。昔は、そうめんやそばをお供えしてから、人形をしまっていました。
地方によっては、すぐにかたづけず、長く飾っておいた方が火除けになる、という言い伝えもあるようです。特別な風習がある場合は、それにならうのが吉でしょう。
ただし、習慣やしきたりとは別に、現実的な問題もあります。人形には湿気が大敵で、虫喰いや湿気で痛んでしまう場合があります。雨の日に収納するのはNGなのです。天気のよい日にホコリを払い、防虫対策をして収納しましょう。
防虫剤の「エステーさんのWebサイト」に詳しい方法が紹介されています。
24.ひな祭りには何を食べる? 縁起のよい食べ物とは?
東京でひな祭りの料理と言えば、ハマグリのお吸い物にちらし寿司でしょう。ひな祭りは水辺でピクニックする行事だった、と前半に書きましたが、その名残か、海の幸がお膳の主役になります。
京都では、ハマグリの代わりにシジミが食べられます。ちらし寿司はばら寿司となり、姫かれいなども定番。
かつて、宮廷の宴では桃の花びらを浮かべたお酒を飲んでいましたが、江戸時代には白酒に代わったといいます。
あとは、なんといっても菱餅でしょう。菱餅は、緑、白、ピンクの3色は、新緑、雪、桃の花の色だという説があります。春の息吹を感じる時期にぴったりの食べ物です。
東京では桜餅がよく食べられます。京都では「ひきちぎり」という餅菓子が雛菓子の超定番です。
参考資料
『五節供の楽しみ 七草・雛祭・端午・七夕・重陽』(淡交社)著・冷泉為人ほか
『年中行事読本―日本の四季を愉しむ歳時ごよみ』(創元社)著・岡田芳明、松井吉昭
『江戸の庶民生活・行事事典』(東京堂出版)著・渡辺信一郎
『雛まつり 親から子に伝える思い』(近代映画社)著・福田東久
雛人形(ひな人形)と五月人形の総合人形専門店。:こうげつ人形 Webサイト
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