【秀次切腹の怪】自爆した豊臣家(後編)

豊臣秀次は、死ななくてもよかった人物です。

譜代の家臣に恵まれていた徳川家康とは違い、豊臣秀吉は百姓から成り上がった男。信用できるのは血のつながった親戚のみで、それ故に秀吉は後継者となる男子を多く残す必要がありました。

ところが、側室をたくさん作ったにもかかわらず肝心の子宝には一向に恵まれません。1人とか2人だけではいけません。多産多死という当時の状況を考えても、せめて10人はほしいところ。現に徳川家康は、11男5女を世に誕生させています。

それができなければ、自分の兄弟姉妹の子を頼るしかありません。秀吉には姉、妹、弟が1人ずつ存在しました。その中で姉の智が3人の男子、弟の秀長が1人の男子を世に出しています。

ですが智が生んだ3人の男子のうち、次男の秀勝は朝鮮の巨済島で戦病死し、三男の秀保も若くして急逝しています。秀長の唯一の嫡男も長生きしませんでした。

そうした状況を考慮しないと、秀次切腹問題の核心は見えてきません。

豊臣家の「欠陥」

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智の長男の秀次は、たった1人生き残った「秀吉の後継者」です。弟の秀勝とは違い安全な日本国内で健康的に過ごし、しかも4人の男子を生ませています。

それを一掃してしまったら、豊臣家は非常に危うくなります。その上、秀次の死は「豊臣家が関白の座を自ら手放す」ということでもあり、実際にその後豊臣秀頼が関白になることはありませんでした。

そのような判断を果たして秀吉が下すのか、という問題です。

考えてみれば、豊臣政権はその構造にいささかの無理がありました。秀吉は織田信長が本能寺で死ぬまで、自分が天下人になるなどとは微塵も考えていませんでした。信長の家臣としての一生を貫くのなら、嫡男作りはあまり必死でなくても構いません。いざとなれば養子を取ればいいわけですし、実際に信長の4番目の息子をもらっています。

ですが、天下人となってしまったら話は別。後継者のストックの数は、日本の平和に直結します。そうした意味で「自分が天下を取る」というのは秀吉にとっての計算外であり、豊臣政権の整合性にも大きな傷を与えてしまいました。

切腹した理由

ではなぜ秀次は腹を切ってしまったかというと、大河ドラマ『真田丸』では鬱状態になってしまった秀次が描かれていました。

いや、新納慎也さんは結構な名演だっと思いますよ。特に小日向文世さん演じる秀吉に「検地をすると何が分かるのか?」と聞かれて、慌てながら「いろいろなことが分かります」と答えたシーン。あのダメっぷりというか普通の人ぶりというか、徹底的に「権力者に向いてなかった男」を演じ切ったのがよかったですね。

戦国時代、自分の限界を悟って世捨て人になった者は何人か存在します。秀次はもしかしたら、そうしたタイプの人物だったのではないでしょうか。ところが関白という地位に就いてしまったがために、ドロップアウトできず精神的に追い詰められた……という三谷幸喜監督の描き方は、本当に素晴らしいと思います。

あと、話は逸れますが澤田のイメージの「豊臣秀吉」が完全に小日向さんになっちまいましたね。今まで「秀吉」といったら多数派の意見に漏れず竹中直人さんだったんですけど、小日向さんのあの演技を見たら絶対に変わりますよ。普段は明るくてお茶目なおじさんだけど、何かしらのきっかけで突然冷たくなる秀吉。「小日向さんの目が笑ってない」というのはネットでも話題になってましたが、もしあんなのが自分の叔父さんだったら私だって自害すると思います。

秀吉の致命的ミス

実際の秀吉も、様々な謀略を駆使してのし上がった妖怪です。「いつか自分も太閤殿下に殺されるかもしれない」ということは、現実としてあり得なくても秀次個人の不安としては充分にあったはず。それを諌める有力家臣がいれば、結果は違っていたかもしれません。

すると話は、「譜代の家臣がいない豊臣家」という地点に戻ってしまいます。やはりこのあたり、徳川家とは人材の層の分厚さで負けている感があります。そしてもう一つ言えば、秀吉の下した処置に落ち度がまったくなかったわけじゃなく、彼は秀次死後に致命的なミスを犯しています。

それは秀次の側室である駒姫を、「謀反人の一族」として処刑してしまったこと。彼女は出羽の大名最上義光の娘です。

駒姫処刑については各方面から反対の声が上がり、秀吉も考えを改めて処刑中止の早馬を出しました。ですがあと少しのところで間に合わず、駒姫は骸となりました。地方の有力大名の信頼を損ねるということは、まさに自滅行為以外の何ものでもありません。これは当然、関ヶ原の戦いや大坂の陣にもつながります。

このように、当初は小さなほころびに過ぎなかった点がのちのち大きな欠陥となり、やがては天下をひっくり返してしまいます。これが戦国時代の恐ろしさでもあり、また日本史上最も重要な時代区分であるということが窺えます。