【再評価・石田三成】最高の頭脳を持った男(前編)

【再評価・石田三成】最高の頭脳を持った男(前編)

こんにちわ、「戦う個人事業主」澤田真一です。

今回は、石田三成の話をします。いや、この人物は結構女性人気があるんですよ。だから下手なこたぁ言えないのですが、戦国研究をする上で彼の論評は欠かせません。何しろ、徳川家康と戦った男なのですから。

ただ、そうであるが故に三成は長らく正当な評価をされてこなかった感じが見受けられます。今までの彼に対する悪評は「冷たい」だの「讒言をした」だのという性格に関することばかりで、「政治家として優秀だったかどうか」という議論はほとんどされてきませんでした。

この記事では前後編に渡り、石田三成の素顔を追っていきたいと思います。

目次

三成は「悪人」だった?

歴史を研究する上で、必ず「善人」と「悪人」が存在します。

もっとも、人間社会に善悪もへったくれもないのですが、それでも人は無理矢理にでも他人をベビーフェイスとヒールに仕分けたがる動物です。たとえば大石内蔵助と吉良上野介がそうであるように、後世の人々は何かにつけて「善悪」を判断基準にしてしまいます。

石田三成も、理不尽なレッテル被害者の1人でした。徳川家康に対抗して負けた人ですから、江戸期を通じてあらゆる学者から「奸臣」だの「セコい小者」だのとボロクソに評価されます。

ただ冒頭でも書いた通り、それらはあくまでも人格に対する非難、言い換えれば三成の人間性への攻撃です。本来、政治家としての能力と人間性云々はまったく関連性がありません。このあたり、「前王朝の最後の王はどこで間違えたか」をちゃんと研究する中国人に差をつけられています。

しかもその低評価は、なぜか明治時代になってからも変わりませんでした。明治維新以降、それまでタブーだった豊臣秀吉の再評価が進められたのですが、三成はやっぱり「奸臣」のまま。同じ秀吉の子飼いだった加藤清正や福島正則が常に高評価だったのとは雲泥の差です。

ですが最近になって、その状況に地殻変動が起こっています。

変わる三成像

三成のファンを「ミツナリスト」と言うそうです。澤田はこのことをこの前初めて知りました。

それはともかく、このミツナリストがここ最近増加しているとか。確かに大河ドラマを見ても、三成の人物像が大きく変わっているようにも思います。

現在放映されている『真田丸』の三成は、物言いこそきついけれど実は面倒見のいい性格。大谷吉継という親友もいます。敵も多い分、三成を強く慕う者もいるという描き方です。

ところが竹中直人さんが主演した『秀吉』の三成は、血迷った晩年の主君にも迷わず従う忠臣、というよりまさに奸臣という描写でした。伝統的な三成のイメージはどちらかという話になれば、もちろん後者です。

ただ面白いことに、その中間を模索した三成像もあります。2011年放映の大河ドラマ『江』の三成は、秀吉の判断が間違っていると分かっていながら従わざるを得ない中間管理職という位置付けです。確かに器の大きな人物ではありませんが、それ故に視聴者の同情を集めるキャラクター。『江』は「時代考察がさっぱり」「ご都合主義」という芳しくない評価がありますが、三成のキャラ作りに関してはなかなか秀逸だと澤田は感じました。

真実の三成

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いずれにせよ、三成の再評価はここ数年で急速に進められています。

その極めつけが、『妖怪ウォッチ』出演だと思います。ウィスパーが昔仕えていたのが三成だった、という衝撃展開です。子供向けの作品に石田三成が出てくるというのは、『妖怪ウォッチ』が初めてではないでしょうか。

さらには三成のことを「佐吉」と呼ぶ人も増えているそうです。そうでなくとも、「佐吉=石田三成」ということを知っている人が明らかに増加しています。ミツナリストにとって、日本の居住環境は年々良くなっています。

では、実際の石田三成はどのような人物だったのでしょうか?

ひとことで言えば、彼はその当時の日本で最高の頭脳を持っていた男でした。

三成は、「なぜそれをするのか」「それをやったらどうなるのか」ということをすぐに理解することができます。例を挙げれば、「太閤検地」と呼ばれる一連の農業政策。これが日本にもたらした最大のものは、単位の統一です。

それまで、日本全国どこへ言ってもまったく同じ度量というのはありませんでした。一升枡でも地域によって容積がまちまちです。ところが、それを統一しようという者、または「統一したほうがいい」と考える者は皆無でした。

秀吉はそうしたことを断行したわけですが、問題は彼の部下が改革の必要性を理解しているか否か。「検地をやらなければならない→なぜそれをする必要があるのか?」ということに対して、即座に回答できる人材が存在していなければ改革は失敗に終わってしまいます。

そう考えると、三成がいたことは秀吉にとっての幸運でした。

以下、後編。

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