【戦下手の魔王】信長は凡将だった(前編)

こんにちは、「戦う青色申告者」こと澤田真一です。

今回から始まる連載は、日本史最大の英雄織田信長について。この人物の名を知らない日本人はまずいません。彼は現代に至るまで「日本人のヒーロー」です。中には藤沢周平のように「信長ぎらい」を公言する人もいますが、少なくとも21世紀のゲーム業界は信長なしにはやっていけません。あ、別に澤田はコーエーの社員じゃないですよ(笑)。

何だかんだで、信長は後世の人々に愛されています。ですが同時に、信長は実に多くの謎を残しています。

本能寺の変は昔から黒幕についての議論がありますし、またそれだけ信長は敵を作っていたのも事実です。明智光秀はあくまでも実行犯で、彼を裏で動かしていた人物が必ず存在する。それは幕府を潰された足利義昭か、いや朝廷だ、はたまたイエズス会ではないか――。

真相は恐らく永遠に闇の中だと思いますが、いずれにせよ信長は非常にミステリアスな人物。彼を研究することは、一生涯のライフワークになり得るほどです。

名のある大名にはやられっぱなし

最近、ある人がこんなことを口にしました。

「信長って、そんなに戦争に強かったと思えない。桶狭間はともかくとして、それ以外の勝ち戦は物量で押し切るか徳川家康に頼るかのどちらかだ」

言われてみれば、その通りかもしれません。

ほとんど奇跡に近い桶狭間の合戦を別にすれば、信長の勝ち戦は弱体化した周辺大名を電撃作戦で撃破するか(美濃攻略戦、観音寺城の合戦など)、新兵器で敵を打ち破るか(長篠の合戦、第二次木津川口の合戦)というパターンです。浅井・朝倉連合軍を破った姉川の合戦などは、徳川家康がいなければかなり危ういところでした。

そして、信長は力のある大名にやられまくっています。先述の姉川の合戦のあとに行われた野田・福島の戦いでは、弟の織田信治を浅井長政に討ち取られるという痛い敗北を喫しています。その後、上洛へ動き出した武田信玄からは逃げ回り、上杉謙信には兵力で圧倒していたにもかかわらず悲惨な負け方をしています。

つまり、信長は「戦下手の魔王」とも言えるのです。「戦下手」は言い過ぎだとしても、軍人としてはせいぜい平均水準程度の手腕しか持っていないことが分かります。

「長篠の三段撃ち」はなかった?

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長篠に行ってきました。

毎年5月5日、長篠城跡では『長篠合戦のぼりまつり』が開催されます。これはかの有名な長篠の合戦で命を落とした人々を弔うための祭事で、全国から戦国ファンが駆けつける一大イベントでもあります。

このお祭りの目玉は何と言っても、火縄銃の実演。各地から駆けつけた古式銃愛好会による一斉射撃です。

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とにかく、ものすごい轟音です。鉄砲隊から数十メートル離れたところにいても、音で全身が震えてしまうほど。何人かの小さい子が「火縄銃怖い」と泣いていました。

澤田はかつて自衛隊に所属していて、小銃射撃も経験しています。ですが古式銃の射撃音は近代銃のそれよりも遥かに大きいのです。射手は必ず耳栓をつけています。

この鉄砲で、武田騎馬隊は為す術なく敗退したという逸話は誰もが知るところ。いわゆる「三千挺の三段撃ち」です。

ですが今、長篠合戦での三段撃ちは虚像であるという見方が主流になってきています。

そもそも、当時の織田軍の経済力からして三千挺も鉄砲を揃えることはできないという意見があります。また、実はその時の武田軍も千挺近い数の鉄砲を有していて、火力の点ではむしろ互角だったということも分かっています。

信長より強かった勝頼

ですがそれでも、長篠合戦において織田軍が武田軍を破ったというのは歴史的事実です。

武田信玄の後継者の武田勝頼は、決して愚将ではありません。それどころか前線指揮官としては超優秀な人物でした。もしかしたら「戦争の才能」では父を凌駕していたかもしれません。彼の武勇伝は、この記事の中ではとても書き切ることができないほどです。一騎打ちも幾度となく行い、相手を討ち取っています。

一方、信長は先述の通り実力派の大名相手ではなかなか勝てない指揮官です。美濃攻略戦では斎藤家の家臣と周辺住民を懐柔して稲葉山城占拠に成功したものの、それは結局「まともに戦をしたら負けてしまったから(河野島の合戦)」という理由がありました。

腕っ節も軍人としての能力も、信長は勝頼に遠く及ばないと断言してもいいでしょう。にもかかわらず、最終的に負けたのは勝頼です。なぜでしょうか?

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繰り返しますが、この連載では「信長は戦下手の魔王だった」という前提で考証を立てたいと思います。ですが、そうであったからこそ信長は戦国時代の頂点に君臨できたのかもしれません。

そういえば、信長に呆気なく倒された六角義賢・義治親子も屈強な武人です。二人とも天寿を全うするまで生き延び、特に義治は豊臣秀頼の弓術指南役に抜擢されています。ところが執政者としての手腕は親子揃って最悪で、六角家譜代の家臣を暗殺した末にその他の臣下の離反を招いてしまいました。

なまじ戦闘に強い人物は、どうしても個人的武勇に頼り失敗しがちです。その点、信長は戦闘猛者との正面衝突を避け続けてきたからこそ、むしろ勢力を広げることができたという経緯があるようです。

中編へ続く。

【戦下手の魔王】シリーズ
【戦下手の魔王】信長は凡将だった(前編)
【戦下手の魔王】一夜城の奇跡(中編) 乞うご期待
【戦下手の魔王】経済力で天下を制す(後編)乞うご期待