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奈良の鹿
奈良公園にいる鹿は野生の鹿?いつからいるの?
現在のところ、奈良公園に生息する鹿は国の天然記念物に指定されている野生動物となっています。
では元々奈良の地で生息していたのでしょうか?
調べてみると、西暦700年代、奈良時代に遡ります。詳しくは後述しますが、その頃に遠くからやって来た鹿の子孫たちが、今奈良公園に生息している鹿たちの様です。
奈良の鹿は何処から来た?
結論を先に言ってしまうと、昔々の奈良時代、大和国に春日大社を創建した際に、遠く鹿島神宮から神様をお迎えし、その時に神様の使いである鹿も多数同行し、その鹿たちの子孫が今の奈良の鹿に繋がる‥というのが最も有力な説となっています。
大和国は現在の奈良県の一部で、鹿島神宮は現在の茨城県鹿嶋市にある神社です。
そして春日大社が創建された際に鹿島神宮から神様をお迎えしています。
また奈良公園は春日大社の境内の一部でもあります。
奈良の鹿は茨城から来た?
実は、奈良の鹿に関する興味深い伝承が、奈良から遠く離れた東京都江戸川区に伝えられています。
昔々、常陸国の鹿島大神という神様が大和国の春日社に向かう途中、現在の東京都江戸川区北部辺りで、神の使いとして供をしていた鹿が亡くなりました。その亡くなった鹿は、その地の人々によって手厚く埋葬され、鹿見塚(ししみづか)が建てられました。鹿見塚を祀る神社は今でも「鹿見塚神社」として、またその周辺には「鹿骨(ししぼね)」や「鹿本(しかもと)」という地名が残っています。
※江戸川区鹿骨や鹿見塚、鹿見塚神社などの写真は文末に表示します。
常陸国の鹿島大神は茨城県の鹿島神宮の神様で、大和国の春日社は奈良県の春日大社のことです。
春日大社の創建は768年ですから、恐らくその頃、鹿島神宮から春日大社へご神体と共に神様の使いである鹿が贈られたのであろうと、鹿見塚神社の鹿見塚の伝承により伝えられています。
奈良の鹿のルーツは茨城だった
奈良公園にいる「奈良の鹿」は茨城県、鹿島神宮の鹿をルーツとするものだった。
それを奇しくも東京江戸川区に残る伝承から知ることができました。
それぞれの歴史
鹿島神宮や春日大社の歴史を調べれば、きっと他にも鹿に関する伝承や記述が残されているはずですが、今回は一見どちらとも縁が無いように思える江戸川区鹿骨に伝わる奈良の鹿の発祥に関わる伝承の話でした。
歴史っておもしろいですね!
鹿見塚神社
鹿見塚神社
鹿見塚神社|ししみづかは鹿骨の歴史を今に伝える小さな御社 より
鹿見塚
東京都江戸川区鹿骨
都心から千葉方面へ向かい靖国通り、国道14号線を行くと、小松川を過ぎたあたりで国道14号線が分岐します。右は京葉道路へ、左はそのまま千葉街道へと続きます。二つの14号線の間、新中川の東側に鹿骨という町があります。鹿見塚神社は、鹿骨町を東西に横切る鹿骨街道沿いに在ります。また鹿本という地名は現在では使われなくなってしまいましたが、江戸川区北部に「鹿本通り」や「鹿本中学校」としてその名残りが見られます。