ここで、1冊の本を紹介させていただきます。
『軍隊を誘致せよ ?陸海軍と都市形成』(松下孝昭著・吉川弘文館)は、近現代史を研究する者ならば絶対に読み落としてはいけない本だと澤田は考えています。この本の内容を一言で言えば、「旧日本軍は地元に巨額の利益を与えていた」ということ。
この言葉に反発する人は多いのですが、日本軍に限らず師団制を採用した各国軍隊は駐屯した先々でインフラ整備を行っています。その土地に常備軍として駐屯しなければならない、すなわち部隊を編成した状態でいつまでも暮らさなければならないわけです。
電気の通っていない地域に暮らす人々にとって、軍隊の誘致は最重要課題でした。おらが町に駐屯地ができれば、電気はおろか道路も整備され、その次は鉄道が来るかもしれません。
太平洋戦争が終わるまで、その町に軍隊があるのとないのとではインフラ整備の度合いがまったく違いました。そういうことを念頭に置かないと、この話題の考察はできません。
目次
「天守台破壊」は市民の総意だった。
上記の本では、駿府城のことにも触れられています。
歩兵連隊の誘致は、市町村が一丸になった活動の結果です。「野蛮な軍部に土地を無理やり徴収された」どころか、「他県を押し退けてまで軍を引きずり込んだ」という実態が見えてきます。
となると、天守台解体前に調査をしなかった理由も見えてきます。駐屯地建設に時間をかけていたら、他県に誘致話を持っていかれる可能性もあります。一刻も早く駿府城を更地にし、歩兵連隊を呼ばなければならない。このあたり、オリンピックの誘致にもつながるところがあります。
そもそも、日本人は何をやるにもボトムアップ構造を採用します。強権的な指導者の鶴の一声で物事が進むやり方を嫌い、代わりに係長、課長、部長、専務、社長の順に稟議書を回していく仕組みを好みます。つまり歩兵連隊の一件も、該当する自治体の全ての重役が首を縦に振らなければ成し得なかったことではないでしょうか。
静岡県も静岡市も、その歴史的事実になかなか触れようとしません。「歩兵連隊の駐屯地を作るために天守台を壊した」としか言わず、それ以上のことは霧の中に放置したままです。ですが澤田は、あの時代に歩兵連隊を誘致した判断は決して間違っていなかったと考えています。
「地方都市の活性化」は、それだけ難しい作業なのです。そうしたことを市民が共有するためにも、「34連隊以後の駿府城史」はもっと議論されるべきではないでしょうか。
世論は「天守閣再建」を推している
とはいえ、自治体が町の歴史を探る事業に予算を投じるというのは、やはり喜ばしいことです。
城には作り手の思惑がはっきり浮かんでいます。巨大建築物には「根拠のないデザイン」というものはなく、石垣のひとつひとつに至るまで必ず「なぜそのような形なのか」という理由があります。加藤清正が武者返しにこだわったのも、実戦を想定した設計以上に「美学」を持っていたからだと思います。
そう、城は美学の塊です。我々現代人は、その記憶を掘り起こし次世代に継承する義務があります。
幸い、今の時代は失われた遺産の発掘や再建に対して好意的です。各地の城郭で進められている天守閣木造再建計画も、反対意見はあまり見受けられないように思います。もっともそんなこと言うと「市民全員が賛成なわけがない。私は反対だ」という声も来るんですが、澤田は「全体的な傾向」としてそうなっていると言ってるわけです。
より魅力的かつ永続的な文化継承計画の具体案を反対派が出していない時点で、物事は天守閣再建に向かいます。日本人の好きな「全員賛成しているわけじゃない」という反論の文句は、実は非常に内向きと言わざるを得ません。なぜならそれ以上の進展が言葉の中に見込めないからです。「だったらどうすればいいんだ?」という問いに、一切答えていません。
今持ち上がっている計画Aを上回る計画Bというものがあり、かつそれが一般大衆の支持を集めて「多数派意見」になっていなければ、「世論は計画Aを推している」という結論になります。
そして「歴史文化の発信」や「文化財の保護と再建」といったことも、一種の福祉事業ではないでしょうか。そういった意味でも、天守閣再建という事業は非常に意義あるものだと思います。
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