偉人/歴史/戦国時代を斬る

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【駿府城天守台発掘計画】なぜ文化財は破壊されたのか(前編)

どうも、「戦う青色申告者」こと澤田真一です。 我が地元静岡市で、一大プロジェクトが始まりました。 それは駿府城天守閣跡の発掘作業。これがですね、全国の日本史関係者が大注目するほどのお仕事なんですよ。何しろ駿府城天守台って、江戸城のそれよりもデカイっつーハナシですから。 で、この発掘作業は最終的に天守閣再建につなげるそうです。澤田にとっては夢のようなことで、一刻も早く作業を進めていただければと考えて […]

【戦国奇人列伝】戦争を放棄した戦国大名・大内義隆(第3回)

戦国奇人列伝の第3回目は誰を紹介するか。これは非常に悩みました。 1回目は「武勇に優れたバカ殿」六角義治、2回目は「突出した戦略眼の弱小大名」山名豊国を題材にしました。となると3回目は、やっぱりあの人物しかいないのかなぁ……と澤田は考えました。 山口の大名、大内義隆です。 彼ほど「日本人」を表している人物は、他にそうそういないと私は思います。そして義隆は日本文化にとって大きく貢献している人物で、そ […]

【戦国奇人列伝】常に正しかった弱小大名・山名豊国(第2回)

南近江の大名六角義治は「武勇に優れたバカ殿」でした。誰しもが認める弓の名人で、肉体的にも非常に堅強。ですが戦略眼がまったくなく、奮闘したにもかかわらず大名には復帰できませんでした。 今回はそんな義治とは対照的に、「戦略眼に優れた弱小大名」をご紹介します。この人物は大きな決断を迫られる場面で常に正しい選択をして、戦乱の世を生き抜くことができました。ところが彼には、それ以外の要素は一切持ち合わせていま […]

【戦国奇人列伝】めげない迷惑男・六角義治(第1回)

どうも、「戦う青色申告者」澤田真一です。 さて、世の中には口で言う割には大したことない男がゴマンといます。 「俺はこんなすごいことをやってるんだ」と公言してるくせに、実際には大したことない男。どの職場にも大抵一人はいますよね? で、もしそんなタイプの人間が戦国大名になっちゃったら、もう大変なわけです。下の人間はとてもついていけません。 今回ご紹介する六角義治は、まさにそんな人物です。 つぎはぎだら […]

【秀次切腹の怪】自爆した豊臣家(後編)

豊臣秀次は、死ななくてもよかった人物です。 譜代の家臣に恵まれていた徳川家康とは違い、豊臣秀吉は百姓から成り上がった男。信用できるのは血のつながった親戚のみで、それ故に秀吉は後継者となる男子を多く残す必要がありました。 ところが、側室をたくさん作ったにもかかわらず肝心の子宝には一向に恵まれません。1人とか2人だけではいけません。多産多死という当時の状況を考えても、せめて10人はほしいところ。現に徳 […]

【秀次切腹の怪】すべては「泥縄式」だった?(前編)

こんにちわ、「戦う青色申告者」澤田真一です。 大河ドラマ『真田丸』、盛り上がってきましたねぇ。豊臣秀次切腹の回は、衝撃の一言でした。 豊臣秀吉という歴史人物の一生を語る上で、「秀次切腹事件」は欠かせません。秀吉から関白の座を受け継いだ豊臣秀次が、謀反の嫌疑をかけられ死に追いやられたという出来事です。もっとも謀反の嫌疑はデッチアゲで、本当は淀君との間に拾丸(豊臣秀頼)を生んだ秀吉が、用済みになった秀 […]

小早川秀秋は「病人」だった!? 関ヶ原の「遅れた決断」に新説現る

こんにちわ、「戦う青色申告者」澤田真一です。 いや?、戦国関連のニュースが尽きませんね。織田信雄や島左近の新史料発表が相次いでますし、今までになかった新説を唱える人も現れました。しかもそれらはすべて、澤田がインドネシアに行ってる間の出来事です。一時期はインドネシア移住を本気で考えていた澤田ですが、やっぱり日本にいたほうがいいのかなぁ……。 アレですよ、何と言っても「小早川秀秋が関ヶ原でなかなか寝返 […]

新史料から見る「魔王のドラ息子」織田信雄

どうも、「戦う青色申告者」澤田真一です。 中京大学が面白い新史料を公開しました。それは織田信長の次男信雄が、豊臣秀吉に宛てた書状。明智光秀軍の残党狩りについて、秀吉に相談する内容です。「そちらの状況を知らせてくれ。それに合わせて我々の陣を動かそう」と書かれています。ちなみに、書状の日付は清洲会議の3日前です。 さすがです中京大。なかなかどうしてすごい史料を発掘してきました。今月16、17日のオープ […]

【歴史人物生存説を大検証!】怪僧の正体は「反逆者」か(後編)

生存説検証シリーズの第3話は、明智光秀です。 本能寺で信長を討った光秀は、その後豊臣秀吉に敗退します。ですが徳川家康に拾われ、「南海坊主天海」という僧侶として江戸幕府を裏で支えたという逸話があります。この天海という怪僧、少なく見積もっても数え108歳まで生きたという人物です。当時においてそこまで長寿命だった人は、滅多にいないはずです。もっとも真田信之も93歳まで生きてますから、うまいこと健康に気を […]