最近、ふと思うこと。
学校では今の世の中の風潮を教えてあげているんだろうか。
時々、この学生たちが世の中の中心になるんだと思うとゾッとすることがある。
もちろんメインは学業でいいんだが、知識ばかりが増えていて社会の中で生きていくこと、組織の中で生きていくこと、職場での人間関係の作り方など、あまりにも欠落していることを強く感じる。
いくら知識だけがすごくても世の中では生きてはいけない。当たり前だが生きていくには仕事をして対価としてお金をもらうのだが、ただそこにいてなんとなく仕事をしていればお金をもらえる時代は終わった。
ロボットやITなどが人に変わって仕事をしていくわけだ。なんとなく出来る仕事はみんな機械が奪っていくわけだ。さらに人口が減少していくなかで人が出来る仕事は奪いあいになっていくわけだ。
そんななかで人付き合いが出来ない、考えて仕事をしない、自分の言い分だけを要求する人間が果たして世の中で満足のいく給与がもらえるのだろうか。
社会に出ていない無知な学生にはかわいそうな時代になっていくかもしれないわけだが、逆にこれだけネットの世界が発達しているわけだから、自分の行先をきちんと考えてる学生は、学生のうちにアルバイトで社会経験をきちんと積もうと考えてる人もいたりする。
職場があるという環境に甘えて、言われたことだけやっていては、どんなに博学であろうと工場で流れてきたものを捌くことだけをやっている低所得者になるしかないのだろう。
別に工場で働いている方を卑下しているわけでなく、毎日汗をかいて働いて頂いているおかげで世の中は回っていることには敬意を払っている上で話しはしているつもりだ。
ただその仕事だって職場関係があって、考えて効率よく働く人間が重宝されていく。職場の数だって限度がある。なんとなく働いている人はそういう職場でも除外されていくだろう。
決論的に人の気持になって考えられない人間はどんどん行き場を失っていく時代になったということだ。どんな仕事でも良いがその職場に愛があって、お客様やクライアントに対して愛がなければ生きていけない時代なのである。雇用者は経営者に対しても愛がなければ当たり前だが職場を失う可能性は大いにある。経営者も人間だ。愛がない人間に金を払う人はいない。
何度も書くがどんなに勉強したって勉強が出来たって、愛がなければこの先の世の中に働く場所はないのだ。