映画のように。

映画のように。

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株式会社ブレインネットは

5月スタート4月末という年度制で行っているので5,6,7月、8,9,10月で半年という感じになる。ちと複雑システムなんだが。で、もうすぐ今年度の半年が終わろうとしている。早いのだ。実に早いのだ。5月に立てたビジネス的な動きとしては全然追いついていない。あっという間の半年である。

では毎日をボッーと過ごしていたか。いやそんなことはない、毎週予定を立てて実行してきた。なのになんでこうなるのか。ましてや年初に予定をたて、月一で会議があり、週一でレポートを出して、毎日の予定をしっかり立てているのにだ。

 

なぜだろう?

ふと、少し離れたところから見つめてみた。『人生とは長き道である』なんて誰かが言ってたな。その人生という道は平面ではいけないんじゃないかと思ったのはあれは29歳の人生を見つめ直したときだった。

見えている道、目指しているゴール、ただ平面として走っていてはいけないんだと。道に立って走るだけではどこまで走ったのか、あとどのくらいでゴールまで辿り着くのか、まるでわからない。人生の終わりはわからないものだけど、目指したゴール、自分が立てた到着点は自分がわかるはずだから。イタリア料理を開業したいなら、いくら貯めて、どのくらい修行して、何人スタッフを確保出来れば出来るのか、それは自分が一番わかるはず。

要はゴールまでの距離もわからずがむしゃらに走っていてもたどり着くことは出来ないということ。

羽振りがよい仕事をしてるころ同僚は『俺は〇〇をやる』、『俺は会社を起こして〇〇をする』なんてよく聞いていたがたどり着いた人を見ていない。ゴールに辿り着くのに何をやって、いくらお金が必要でという距離感がまるでなく、がむしゃらに走っていたからだろう。結果、走っていった方向はゴールとはまるで違う方向だった。

 

お前はどうなんだ?

さて、そんな自分はどうかというと、まるで変わらない。なぜなら描いたゴールにたどり着けていないからだ。つかなければ同じなのである。人生という道の上では。

ここで考えた。なぜ平面だけでなく高さを使って距離を意識したのにダメなのか。それは他人本願という要素が絡んでくるのだ。これは人のせいにしている話ではない。エキスパートな人と仕事がしたければ、相手の行動待ちになってしまうこともある。言い換えればここをきちんと意識して『計画通りにいかないことも計画に入れる』ということが大事だったのだとようやく気づく。これは楽しむべきことである。嫌な言葉を聞き、嫌な空気を作られたり、仕事を止められたり。年度のはじめに立てた目標とは大きく異なった。だが、これらすべてを受け入れてこういう要素もしっかりと楽しむべきなのである。僕にしか体験できないものだから。

1人一本までです。

人生は平面の道を歩き続ける。しかしガムシャラには歩かない。高さという立体を意識して距離を感じる。残り何をすれば良いか、どこまで歩けば良いか。しかし他要素がいろいろ降り掛かってくる。自分の予期せぬ出来事。これらもすべて受け入れ糧にする。そして楽しんで歩く。

これは2D(平面)から3D(立体)、そして4D(リアルな要素)という世界へ変化した映画のようだ。実に愉快である。

だとするなら映画監督になって『人生』という映画を僕らしく楽しく作りあげていくことにしよう。うれしいことにどんな名監督でも『人生』という映画は1人一本しか作れないんだから。

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