日本が経済先進国になった最大の理由は、やはり「技術力があった」ということに尽きるでしょう。
では、その技術力の源泉は何でしょうか?
よく言われるのが、「日本刀が技術力を養った」という意見。すなわち、世界の刀剣の中でも抜群の切れ味を持つ日本刀を製造できたからこそ、今の日本の重工業があるというものです。
決して間違いではないと思います。澤田もそうした論調で記事を書いたことがあります。ただ、何か物足りない……という気がしてなりません。というのも、刀剣を作っている国なら日本以外にいくらでも存在し、それぞれ国の事情に応じた独自の刀が生まれているからです。
その中で、なぜ日本刀だけが「特別なもの」と言えるのでしょうか?
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日本刀はやっぱり恐ろしい!
そのヒントを見つけるために、澤田は岐阜県関市に行ってきました。
この時はちょうど、関市刃物まつりの真っ只中。通りには露天が並び、そこでは各社の刃物が格安で販売されていました。もちろんすべて、メイド・イン・ジャパンです。
関市は「日本刀の町」として知られています。ここには刀を作るための土と木炭、そして刃を痛めない綺麗な水に恵まれています。ドイツのナイフ企業ツヴィリング・ヘンケルスも関に進出しているほどです。
日本刀とは、鉄合金の極致と言えます。熱したインゴットを何度も叩いて不純物を取り除き、より強い鋼を作っていく。その作業は「工業」というよりも「芸術」に近い気もします。
武器としての日本刀は、「斬る」ことに特化したもの。下の動画をご覧ください。とにかくいろんなものをひたすらぶった斬っています。
海外の有料放送では時たまこういう番組が作られるのですが、3分44秒からの「軍人マネキン惨殺」のシーンはかなり衝撃です。戦闘服を引き裂いてしまいました。また、その直後の人体ゼラチンで作った模型を破壊する実験はさすがに日本ではできません。
日本刀を持った武士が、いかに恐ろしい存在であったかが分かります。
日本刀と鞘
ただ、今回澤田が焦点を当てたいのは、日本刀そのものよりも、それにまつわる「周辺機器」です。
平たく言えば、鞘や鍔のことです。
刀を語る人はたくさんいますが、鞘を語る人はかなり少ないと思います。ですが、刀と鞘は常に一心同体。鞘なくして刀はその姿を保つことができません。
日本を代表する伝統工芸はいろいろありますが、その中でも絶対に欠かせないのは漆塗りです。木材を塗料でコーティングする技術は、日本では漆を使うことで独自の進化を遂げました。
澤田は木地師の田中瑛子先生にお会いし、話を伺ったことがあります。田中先生は1983年生まれ(澤田の1歳上)の若手職人として、非常に大きな注目を浴びている人物。この時の澤田は、別のメディアの仕事で田中先生の作品展示会に足を運びました。
その際に分かったのは、日本の工業技術と漆塗りは切っても切り離せないこと。そして良質の漆は、日を追うごとに手に入りづらくなっているという事実です。
このことを聞いて以来、澤田は「漆塗り製品のことをもっとよく考察してみるべきだ」と思うようになりました。そして日本の工業発展に、漆塗り職人が大きく貢献しているのではということも考えています。
謎だらけの「戦国テクノロジー」
漆塗り工芸だけではありません。我々の国日本には、他にも様々な伝統技術が根付いています。
たとえば、戦国期から江戸期にかけて建造された城もそうです。城を建てるのに石垣造りは欠かせませんが、「あの巨石をどうやって運んだのか?」ということが未だによく分かっていません。
もちろん今だったら、クレーン車とトラックで日本中どこへでも運べます。ですが自衛隊が時空の歪みに巻き込まれてタイムスリップしない限りは、何をやるにも人力で済ませなければなりません。
また、石材を加工してテトリスのように積み上げる技術も驚愕に値します。パソコンなどない時代、そうした計算はすべてソロバンで行っていたはず。にもかかわらず、現代人にすらなかなか真似のできない石垣を400年前の人々は築き上げました。こうしたことは、地震で熊本城が損傷してからようやく認知されるようになりました。
戦国時代は、あらゆる分野に優れた職人がいました。熊本地震は、図らずもそれを浮き彫りにしたのです。