みなさん、如月柊です。今回は感動的な展示を見に行ったので、レポートしますね。
近藤喜文さんってご存知でしょうか?私は今回近藤喜文展を見るまで名前も聞いたことありませんでした。
近藤さんは「ジブリを支えた」とあったのですが、それでもよくわかりませんでした。ジブリって言ったら宮崎駿さんでしょう?って思っていたので。
しかし、今回近藤喜文展を見て、彼の実直な姿、アニメーターとしてのプロ意識、作品の思いなどをヒシヒシ感じました。近藤さんは大動脈乖離で1998年に47歳の若さで亡くなっています。これほどすばらしい作品を作ってきた彼の急な死を悼まずにはいられません。まさに命を削って世に作品を生み出してきたのではないかと思うと、なんだかとてもやるせない気持ちになってきます。
それと同時に、そんなふうに生み出された作品を「消費」して見てはいけないなぁと反省もしました。そんなアニメーター近藤喜文さんの生きてきた軌跡を見ていきましょう。
目次
近藤喜文さんって誰?
近藤喜文さんは1950年新潟で生まれます。高校卒業後、上京し、東京デザインカレッジ・アニメーション科に入学し、そこからアニメーターの道を歩みます。
アニメーション会社であるAプロダクションを経て、日本アニメーションに移籍します。この頃の作品として「未来少年コナン」や「赤毛のアン」がありますが、この頃から世に知られるようになります。あのコナンやアンのキャラクターは彼が手がけたんですね。
それからいくつかのアニメーション会社を経て、最後にスタジオ・ジブリに移籍します。スタジオ・ジブリでは、「火垂るの墓」や「おもひでぽろぽろ」などを手掛け、「耳をすませば」は最初で最後の監督として活躍しました。
入口からジブリの世界観が楽しめます
入口の前には、「耳をすませば」の背景と一緒に写真が撮れるようになっていました。写真の手すりに座っている猫はちょっと手前に出ていて、立体に見えるよう設計されています。この写真は撮影ができる場所なので、こちらでまずは雫になった気分で写真をパチリ、うつしてみましょう。
「耳をすませば」のモデルになった町があるんですね。聖躓桜ケ丘です。このマップで見れば、町のどの場所に雫が立ち寄ったのかよくわかりますね。
こちらは雫の住んでいる町の様子がわかります。
さあ、いよいよ中に入っていきますよ。?
繊細なイラストの数々に思わず息をのみます
アニメーターになった頃の作品から亡くなる前の作品まであったのですが、スタジオ・ジブリ時代の作品になると、見たことのあるプロットばかりが並びます。その中でも、特に印象的だったのは「火垂るの墓」です。
登場人物の女の子、節子の防空頭巾の布の裏地の様子、ひもで結んでいた当時のリュックの形状、登場人物の身長比など、実に綿密な指示のメモが見られます。こうやってアニメーションは作られていったのですね。気が遠くなるような作業の数々です。
また、節子は年端も行かない子供なので、その年ごろの子供の独特な箸の持ち方や登場人物の喜怒哀楽なども細やかに描かれていました。
近藤さんの使っていた机もありました
近藤さんが当時使っていた机もありました。小さな机なんですが、机の真ん中を切ってガラスをはめ込み、下から蛍光灯で照らし、セル画が書きやすいよう工夫されていました。
24色以上の色とりどりの色鉛筆、そしてそれらが取り出しやすいように1本1本差せるように厚紙で作ったペンケース、ラジカセも置かれて、きっと音楽を聴きながらアニメを作っていたのでしょうね。
実は「近藤喜文展」はこんなに混んでいました。知る人ぞ知る人気者だったのですね。
近藤さんの画集です。絵が本当に素敵です。
近藤喜文展はいかがでしたでしょうか?この展示を見て、今まで絵が下手な私はなんでも写真で撮ればいいと思っていましたが、形のないもの、自分の頭の中にあるものは写真では撮れないんだと改めて思いました。イラストが持つ力を強く感じた展示でした。
◆近藤喜文展
・場所:阪急うめだ本店・9階阪急うめだギャラリー
・入場料
一般 900円
大学生・高校生・中学生 700円
※小学生以下無料
・アクセス
阪急・阪神梅田駅から徒歩3分
JR大阪駅から徒歩4分