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【戦国奇人列伝】裏切りはやっぱり大罪? 小山田信茂(第6回)

戦国時代は、当然ですが究極のサバイバルの時代です。いつ誰が裏切るのか、予想ができない状況にありました。

ところが、この時代のことを調べてみると「勝手な寝返り」も許されないということが分かってきます。

それはどういうことか? たとえば、明日にでも討ち滅ぼされそうなA軍の武将がB軍に寝返りました。けれどB軍の総大将がそれを承知でなかった、すなわちその武将がB軍に相談なく寝返った場合、彼は褒められるどころか処刑されてしまう可能性が高いわけです。

戦争というのは、勝てばいいものではありません。敵から領地を奪ったあとのこと、要するに占領統治を考慮に入れる必要があります。それは事前に計画されていることであって、そのプランをぶち壊す奴の存在は許すわけにはいきません。

ですが、そういうことが分からずに墓穴を掘った武将も存在します。

目次

忠臣の苦悩

富士急ハイランドがある郡内地域は、かつて小山田一族が幅を利かせていました。

この小山田一族は武田氏に仕える有力豪族で、武田信玄が甲斐の当主だった頃は常に軍の先陣を切っていました。つまり、それだけ信玄の信頼が厚かったということです。武田軍の駿河侵攻の際も、一族当主の小山田信茂は今の静岡市清水区のあたりへ真っ先に兵を進めています。

その後も武田の主要会戦において常に存在感を発揮し、信玄の四男の勝頼が武田家の家督を継いだあとも重臣として指示系統の中枢に君臨していました。

ところが、そんな信茂が最後の最後で勝頼を裏切り、それがダメ押しという形で武田を滅亡に追い込んでしまいます。

「忠臣」であったはずの彼が、なぜそのような行動に出たのか? というより、なぜそうならざるを得なくなったのか? それを考察するには、まず「御館の乱」から説明しなければなりません。

きっかけは上杉の内紛

武田信玄のライバルだった上杉謙信が急死すると、上杉家内部で紛争が発生しました。

謙信のふたりの養子、景虎と景勝によるお家騒動です。これがいわゆる御館の乱で、結局は景勝が勝利しました。

ただ、問題は景虎は北条氏康の実子だという点。そして御館の乱勃発の時点で、北条本家は武田と同盟関係にありました。

要するに武田勝頼から見れば、何が何でも景虎派に援軍を送らなければならなかったのです。

ところが、この時の武田は財政難に苦しんでいました。資金源だった甲州金山は生産量が減ってしまったらしく、また信玄・勝頼親子はそもそも最新の貨幣経済に対応した大名ではありませんでした。日本屈指の名将と名高い信玄ですが、経済政策に関しては織田信長よりも遥かに遅れを取っていたと言わざるを得ません。

そして勝頼は富を「獲る」ことしかできない男です。信長や山口の大内義隆のように、富を「稼ぐ」という概念をまったく持ち合わせていません。

そうした武田の弱点を、景勝派は見逃しませんでした。黄金と領土の一部を無償譲渡することで、武田軍を味方につけたのです。

当然、北条は怒ります。その末に武田との同盟は破棄され、代わりに北条と織田・徳川との同盟が締結されました。武田は敵に包囲されてしまったわけです。

その上、信長は武田の家臣団に対して裏工作を仕掛けました。

木曽と小山田の違い

勝頼は甲府盆地に新府城という拠点を造らせています。

そしてそのために南信州の木材を集めました。駆り出されたのは代々この地を収める木曽一族です。ですがその資材供出があまりにも過酷だったのと、その最中に織田が裏工作を行っていたため木曽義昌が武田に反旗を翻しました。

ここで重要なのは、木曽一族の造反はあくまでも信長のスケジュールに沿った出来事という点。「所領は安堵してやるから味方になれ」と言われたわけで、言い換えれば新しい主君の命令に従ったに過ぎません。

ところが、勝頼に新府城からの拠点変更を提案しておきながら、転居先の岩殿城の手前で「鞍替え」を敢行した小山田信茂は、とんでもない謀反人です。「誰にも命令されていないことをやった」というのが、彼の命取りになりました。

処刑は「当然」だった?

一連の流れを重く見た信長の嫡男織田信忠は、信茂を罪人として処刑します。

冒頭で書いたように、戦争というものは「終戦を迎えたら終わり」というわけではなく、侵攻した側は新しい領土を経営していかなければなりません。「ここを誰に統治させるのか」ということも考えているはずで、だからこそ計画を覆すような奴はなおさら許してはおけません。

信茂は勝頼を裏切らず、そのまま主君と一緒に岩殿城に籠城すればよかったんじゃないかと澤田は考えています。

もちろん織田軍を撃退できる可能性はかなり低いのですが、少なくとも数ヶ月は城を守り通してそのあとに信忠と交渉するという手もあったはずです。まずはこちらの意地と実力を見せ、相手に「これ以上戦うよりも交渉したほうがいいかもしれない」と思わせる。この段階までこぎつけたら、あとは「勝頼を裏切るから命だけは助けてくれ」と提案します。

ここで初めて、主君を裏切る方向に舵を切るわけです。このやり方も確かに「とんでもない謀反人」のものですが、戦国の世において謀反や寝返りは悪ではありません。繰り返しますが、重要なのは寝返る先の了承を取ったか否か。信茂にそうしたことを考える冷静さがあったなら、悲劇は回避できたかもしれません。

裏切りにもルールがある、ということです。

 

戦国奇人列伝シリーズ

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