日本の戦国時代は、外国人が多く来訪した時期でもありました。
なぜかと言えば、16世紀は世界的に見れば「大航海時代」の真っ只中だったからです。ヨーロッパ人は、東洋とつながる海路を有史上初めて発見しました。そこから貨幣経済が急速に発達するのですが、同時に世界の戦争は資金力がモノを言うようになりました。
そうした状況の中で登場したのが織田信長であり、豊臣秀吉であり、徳川家康です。
どのような外国人を優遇すれば、より大きな利益を手にすることができるのか。ひとことで「南蛮人」といっても、いろんな人間がいます。日本を侵略する気まんまんの奴もいれば、極東で一攫千金を夢見る奴も存在したわけです。
で、中には「お前、日本に何しに来たの?」と突っ込んでやりたいような奴もいました。フェルナン・メンデス・ピントがまさにそれです。
目次
ホラ吹きオヤジ、日本をゆく
メンデス・ピントをひとことで言い表わせば、「ホラ吹き」です。
ポルトガル人のこのオッサンは、晩年に自伝を執筆しています。「これまでの自分の航海人生について」というような内容です。ところが、「俺は何回も奴隷として売り飛ばされ、世界各地の戦争で大活躍し、各地の権力者に仕えて、東洋では超有名人になったんだぜ!」という明らかなホラ話を堂々と書いています。
ただ、冒険商人として日本に行ったというのは本当らしく、実際に現地を見たものでしか書けないほどの細かい描写がオッサンの本にはあります。ほら、アレです。自分の見たものを何でも大きく語りたがる奴っているじゃないですか。そういうのって、いつの時代にも存在するんです。
で、このオッサン「日本に鉄砲を伝えたのは俺だ!」と主張しています。もちろん、現代の歴史学会でもこの主張は相手にされていません。
大名とも面識が
ところが、このメンデス・ピントはとある大事故を目の当たりにしています。
それはあの大友宗麟の弟にあたる大内義長が、火縄銃の暴発事故を起こした一件です。これは戦国マニアの間では結構よく知られている(はずの)事故ですが、当時「大友晴英」という名だった義長はメンデス・ピントの火縄銃を勝手に持ち出し、見よう見まねでそれを射撃したというものです。
ところが火薬の詰め過ぎで暴発(というより腔発か?)させてしまい、義長は瀕死の重傷を負います。メンデス・ピントはそれを介抱し、治療まで施したという話です。
オッサンが義長の治療をしたというくだりはともかくとして、この暴発事故自体は本当にあったそうです。それにしてもこの大内義長という人物は、その後波乱万丈かつ悲劇的な人生を送っています。名前が示す通り、彼は山口の大内家の跡取りになるのですが、この頃は陶晴賢が大内義隆に謀反を起こしたあとだったため、事実上の傀儡として晴賢に祭り上げられる始末。しかも最終的には毛利元就に滅ぼされてしまいます。
これだけ不運な大名も珍しいのですが、振り返ってみればケチのつき始めはこの暴発事故だったのかもしれません。
ホラは後世で輝く?
で、オッサンはあのフランシスコ・ザビエルとも面識があります。
日本で初めて会っていろいろ薫陶を授かったそうですが、オッサンはザビエルの死後にその遺体をインドのゴアで見ています。死後何ヶ月も経ってるから完全に腐敗し切っている……と思いきや、何と死後間もない状態のような綺麗な姿だったそうです。
これもやっぱりオッサンのホラかと思いきや、じつは他にも同じ証言をしている人がいて、しかも現代のカトリック聖職者はこのことを事実として認めています。あながち、ホラばかり吹いてるわけでもなかったようです。
とにかく滅茶苦茶すぎて魅力たっぷりのメンデス・ピントですが、ただひとつ残念なのは彼があと10年ほど極東に滞在していれば……という点です。そうなると織田信長が台頭するため、ホラ吹きとうつけ者の共演も可能性としてあり得ます。
また、メンデス・ピントは日本側の史料には一切出てきません。どうやら当時の日本人には「その他大勢の南蛮人」と見なされていたようですが、彼くらいのとんでもない外国人なら太田牛一あたりが記録に書いてくれそうな気もします。
ただ、見方を変えればメンデス・ピントは戦国前半期の日本の様子を書き残してくれた数少ない外国人。後半期にはルイス・フロイスという極度の筆まめが登場するわけですが、彼がまだいなかった時期の日本を伝えたという点でメンデス・ピントは大いに評価できます。
世紀のホラ吹きは、偉大な証言者でもあったのです。
戦国奇人列伝シリーズ
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