今回は「ワクチンと抗生物質」についての話から入ります。
本題とは全く関係ないじゃないか! と突っ込まれそうですが、まあちょっとだけ我慢してください。
世にはびこる陰謀論の定番に、「製薬会社の世界征服」というものがあります。本当は身体に有害なワクチンと抗生物質を各国にばら撒き、大儲けしているという話です。
そうした昔からある陰謀論に肉付けしたのがゲームの『バイオハザード』なのですが、ともかく「ワクチンと抗生物質は製薬会社の陰謀」という話を信じている人が、日本にも割と多くいます。
で、そういう人のブログを見ると「オーガニック食品」とか「自然由来のナンタラ」とかの広告バナーが貼ってあったりするわけです。「自然絶対信者」と表現するべきでしょうか。
確かに、抗生物質には副作用があります。飲み過ぎるとむしろ身体に深刻な影響を与えます。
ですがそれでも、抗生物質は人類を悩ませてきた様々な病をいずれも30年足らずで駆逐しました。ペスト、結核、梅毒、ハンセン病などは、アレキサンダー・フレミングがペニシリンを作る前は「恐怖の病」でした。また、麻疹や百日咳なども数えきれないほどの子供の命を奪ってきました。
だからこそ、昔は「多産多死」だったわけです。麻疹に対するワクチンが存在しない以上、それに感染したらまずは死を覚悟しなくてはなりません。本当に「自然の流れに任せる生活」を送るとしたら、多産多死の社会になります。
だから戦国武将の家でも、いつ長男が死んでもいいように次男、三男をリザーブさせておく必要がありました。
目次
黒田官兵衛の2番目の実子
さて、ここから本題に入ります。
あの黒田官兵衛には、4人の子供がいました。全員が男の子で、そのうちの2人が養子です。
実子でかつ長男の黒田長政は、関ヶ原で大活躍し筑前に大禄をもらいました。その長政の右腕、官兵衛の養子の黒田一成は戦国有数の猛将です。その活躍を細かく挙げたら、1冊の本になってしまうほどです。
要するに官兵衛は子供に恵まれたのですが、じつは黒田家を揺るがす大事件が16世紀末に発生しています。
それは、官兵衛の2人目の実子である黒田熊之助の死です。
この熊之助、NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』で有名になりました。今井悠貴くんが熊之助を演じてましたね。熊之助の最期のシーンは、今井くんの担当でした。尺は多くなかったとはいえ、彼はなかなかいい演技を見せていたと思います。
熊之助は、武勇に秀でた兄の背を見て育ちました。この前はどこの城に攻めた、昨日は敵の首を取ったという兄の話を、幼少から聞かされていました。
すると、どのような性格の子に育つのか。「儂も早く兄上のようになりたい!」という思いが強くなっていきます。
「早く兄上のようになりたい!」
これは一種のコンプレックスで、「今の時点で自分は兄より劣っている」と熊之助は考えていました。それを挽回するためには、彼自身が戦場で手柄を挙げなければなりません。
ですが、この時は豊臣秀吉の2度目の唐入りが行われていました。この頃の秀吉の外征事業は、もはや「海外領土を獲得する」という当初の目的を完全に失い、どういうわけか全羅道の住民に制裁を加えるということをやり始めました。完全に末期症状です。
この戦に、黒田家は官兵衛と長政、一成を朝鮮半島に出しています。フル動員体勢ですね。ですが、いやだからこそ、この3人が戦死した時のことも考えなけれないけません。日本人は「最悪の事態」を考えたがらない民族ですが、戦国の世でそんな生ぬるい発想は通用しません。
当然、官兵衛は熊之助をリザーブとして日本に置きます。ところが何と、熊之助は父の命令を無視して勝手に朝鮮へ渡海してしまいます。
危機に陥った黒田家
もし熊之助に「広域で物を見る目」があったら、こんな蛮行には決して出ません。
このあたり、やはり「若気の至り」というものでしょう。ですがそれが許されるのは平和な時代で、戦乱の世では命取りになります。そして命に代用品はありません。
もう一度書きますが、黒田家が総動員体制を敷いている以上、熊之助はお家存続のための「最後の砦」になるのです。もしそれがなくなれば、黒田家の総動員体制は崩壊します。
ですが熊之助はそんなことに構わず、母里友信の嫡男吉太夫とともに船に乗り込みます。手柄を挙げれば、父と兄から認めてもらえる。その思いを胸にした船旅でした。
しかし、その船は朝鮮半島に着く前に転覆してしまいます。ここで熊之助も吉太夫も溺死しました。熊之助は、わずか16歳です。
この大事件の衝撃は、官兵衛を大いに動揺させたことでしょう。結果的に長政も一成も長生きしてくれたからよかったのですが、もしそうでなければ黒田家は17世紀を迎えたあたりの頃に断絶していました。
現に、豊臣秀吉は極端に子宝に恵まれなかった人物。3人の実子と3人の養子がいましたが、うまいこと成長してくれたのは秀頼だけです。3人が若年で病死、1人が朝鮮で戦病死、あとの1人が「謎の切腹」を遂げました。
極端な話、この時代にワクチンと抗生物質があったら鶴松と養子の小吉秀勝は生きながらえていた可能性もあります。そうなったら、豊臣家はより盤石な基礎の上に立つことができたはず。せっかく掴んだ関白の座を手放してしまうという事態も起こらなかったかもしれません。
戦国奇人列伝シリーズ
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