歴史は「生存説」に満ち溢れています。
日本史上、悲劇的な最期を遂げた人物というのは数多くいます。極めて優秀だったにもかかわらず、何かしらの理由で殺されてしまったというタイプの人物です。ところが後世の人々は、「彼は実は生き延びていた」「死んだはずの○○を、俺は見たことある」と言い立てて文学作品やお芝居まで作ってしまいます。
さて、これらの生存説は一つの仮説として成立するのでしょうか?
もちろんこれらの説には直接証拠はまったくなく、従って検証するとなると「話の整合性」や「可能性」のみに頼らざるを得ません。ですから、今から書くことはあくまでも「そうだったらいいなぁ」とか「いやいや、それはないと思うよ」というレベルに過ぎません。
この記事を読んで「澤田はこんなデタラメな説を信じている」とか、そういうこと言われても応対しかねますのであしからず。
目次
源義経生存説
トップバッターは誰しもが知ってる日本史上最大級の英雄、源義経です。
この人物の生存説は、昔から根強いものがあります。兄の源頼朝に逆らい、東北の藤原政権を頼って落ち延びた末に平泉でその短く太い生涯を終えるという「悲劇のヒーロー」でもあります。
ところが義経は平泉では死なず、実は鎌倉幕府の目をかいくぐってさらに北上し、蝦夷を経て大陸に渡ったという話は非常に有名です。しかもその後の義経は現地の勢力をまとめ上げ、モンゴル帝国の祖チンギス・ハーンとして大活躍したという異説も。
「騎馬隊をあれだけ巧みに操っていた義経なら、日本よりモンゴルにいたほうがむしろ活躍できるのでは?」
そういう声もあります。
確かに、義経とチンギスはほぼ同世代の人物です。ユリウス暦では義経はチンギスのわずか3歳年上。チンギスが宿敵ジャムカを打ち破ったのが1205年ですから、「それも実は義経のやったこと」と主張しても時代考察の上での無理は少ないわけです。
ではここで、「義経がモンゴルへ渡った」という点だけ真実だと仮定しましょう。そしたら彼はそこで活躍できるのか、ということに的を絞りたいと思います。
結論から言えば、澤田は「無理なんじゃないかなぁ」と思います。
なぜなら、義経の日本での大活躍は「日本の複雑な地形を巧みに利用した勝利」だからです。
モンゴルで活躍できるのか?
もっともこれは義経に限らず、日本の「戦上手」は誰しもが海あり山あり谷ありの日本列島の地形を把握しています。それができなければ、日本で武将として生き延びることができないわけです。ですがモンゴルは果てしない野っ原。澤田もこの国を旅したことがありますが、どこまでも続く地平線に感動したものです。
こうなると、当然ながら日本とは戦争のやり方が違います。遮蔽物がない分、「奇襲」という手段が使えなくなります。そもそも戦術指揮官としての義経の最大の武器は奇襲だと澤田は考えていますから、「大平原での戦闘」はちょっと彼には荷が重い気がします。
それと、義経ってみんなが言うほど優秀でもないと思うんですよ。
なぜなら、義経は頼朝の許可がない状態で朝廷から官位をもらってるからです。
これは非常にまずい。頼朝は朝廷から独立するために「これから幕府を作ろう」と苦心しているわけです。なのに義経は、それがまったく分かってない。たとえばA国からの分離独立を目指しているB地域の運動家が、A国から「我が国の国会議員にしてやる」と言われて納得しちゃったら大変です。その運動家は、B地域の市民に叩き殺されてしまうでしょう。逆に言えば、今の中国はウイグルやチベットでそれをやっています。
そして義経は、「無断で官位をもらう」という自分の判断が間違いだったと気づいていません。もし澤田が頼朝の立場でも、こんなダメダメな弟は抹殺します。それに天下が平和になったら、義経のような武断主義の人材はもはや不要です。
で、そんな戦略眼ゼロの人間が縁もゆかりもない異国に渡って、果たして勢力を伸ばせるのかという疑問が出てくるわけです。
それでも人気の「義経=チンギス説」
以上を総括すると、義経が平泉を脱出したところまではあってもおかしくはないのですが、大陸に渡りチンギス・ハーンになったという部分は否定せざるを得ないということになります。
「義経が大陸に渡った」という説は、江戸時代の記述家沢田源内の『金史別本』が次第に肉付けされていったものだと言われています。
この沢田源内という人物、偽書作家と言ったほうがしっくりくるような怪人です。もちろんそういう物書きが世に一人くらい存在してもいいのですが、彼の説を真に受けると損する可能性のほうが高いのは目に見えています。
ただ、この「義経=チンギス説」がものすごく魅力的な話であることは確かです。これを最初からフィクション作品として捉えるなら、100点満点だと私も思います。
ジャッジとしては、以下の通り。
歴史人物生存説を大検証!シリーズ
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