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11月は神無月-かみなしづき-という通説
11月を神無月(かんなづき)と言う理由知ってる?全国の神様たち八百万神が出雲に集まって会議を開くんだ。だから神様が不在、神無し月と言うんだ。その代り神様が集まってる出雲地方では11月のことを神在月(かみありづき)と言うんだよ。
と、まぁ、11月になると、こんな話を聞いた事は誰でもあるんじゃないでしょうか。私も初めて聞いた時は「なるほどね!」と思ったものでした。
全国の神様たちは出雲に集合しちゃうから11月は不在‥お留守なのね‥と。
でも失礼じゃない?
でも少し違和感を感じませんか?神様が居ないから「無い」っていう表現は、神様に対して失礼じゃないですかね?現に出雲では神在月とは言っても”神有月”とは言いませんし・・・
で、ちょっと調べてみました。ほんのちょっとですが・・・
「無」という字は「無い」という意味じゃなかった
実は‥神無月の「無」という字は平仮名の「の」という意味だったんです。
「え?」と思うかも知れませんが、6月の水無月も同じ読み方をします。
神無月は「かんなづき」水無月は「みなづき」と読みますが、この「な」と発音する「無」は元々「の」という意味で、それぞれ「神様の月」「水の月」という意味だったんです。
6月は田畑に水を引く時期に当たるので「水の月」つまり水無月で、11月は神様が出雲に集まって会議を開く月なので「神様の月」「神の月」つまり神無月なのです。別に神様が居なくなるから神無月という訳では無かったのです。
でも結局いないんでしょ?
でも全国の八百万神が出雲に集まってるんだから、結局は出雲以外の地域では神様は不在なんじゃないの?と思うかも知れませんが、そこもちょっと捉え方が違うんです。
常にそこに・・・
さて、皆さんのご近所にはどんな神社がありますか?
私の近所には「大鳥神社」「稲荷神社」「猿田彦神社」「八坂神社」「神明神社」それと「東照宮」などが在ります。調べればもっと沢山の神社がありますが・・・。でもここで上げた神社だけ見ても、同じ神社、つまり同じ神様を祀っている神社は全国に沢山あります。
では、それぞれに祀られている神様はいつもは何処にいらっしゃるのでしょう?不思議に思いませんか?
神社界でも本社や分社があり、全国を見渡すと同じ神様を祀っている神社の多いこと。もっと言えば、ご家庭で神棚を祀っている人も大勢いらっしゃいます。その神棚に神様はいらっしゃるのでしょうか?
尋ねてみた
知人の伝手を辿って、神事に従事してる方に聞いてみました。
簡単にまとめると、祭りとは祀りからの派生で、祀りとは感謝の気持ちを神様に捧げることで、神社へ詣でることは神様へ感謝しに行くことで、神様をお祀りしている処で感謝を捧げればその時神様は現れる‥ということなのです。ん?普段は居ないの?と思いましたが、まぁ、つまりそういう事でして、神社でお祈りをするその時、神様はいらっしゃる。自宅の神棚は神様をお招きする処なので、神棚に向かってお祈りをするその時、神様はいらっしゃる。という事なのだそうです。
なんかキリスト教と似てますね。一神教と多神教の違いはあっても、常にそこに在るという事なのでしょう。とは言え、神様にもそれなりにご事情はおありでしょう、祀られている処の方が現しやすい、居心地が良いのだと思います。
常にそこに・・・
つまり、11月、神無月で全国の八百万神が会議のために出雲に集まっていても、皆さんのご近所の神社で、ご家庭の神棚で祈る時、その時は神様はそこにいらっしゃる、という事なのです。
「いる」というより「おいでになる」という意味で「いらっしゃる」と解釈した方がわかりやすいかも知れません。
じゃぁいつもと変わらないじゃん‥。そう、変わらないのです。11月が特別なのは出雲地方に限った事と考えても差し支えないと、私は思う次第です。
なにせ全国から集まってきちゃうので、そのお迎えや接待など大変だと思います。
だから「神様の月」「神無月」なのです。
とは申しましても、目くじらを立てているわけではございませんので「諸説あり」の一説と捉えて頂いても結構でございます。
ところで、そうそう‥
余談ですが・・・
神社について(ほんの少しですが)調べていて面白いことも知りました。今では全国の神社の総本山と称されている(伊勢)神宮ですが、今の様に総本山的な神社になったのは明治時代になってからなんですね!それ以前、江戸期は・・・。それと東照宮の・・・。
それらの話はまた別の機会にしたいと思います(笑)