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富士五湖といえば、
山中湖(やまなかこ)、河口湖(かわぐちこ)、本栖湖(もとすこ)、西湖(さいこ)、精進湖(しょうじこ) の五つの湖のこと。ちなみに、ここでは大きさ順に並べてみました。ちなみに、山中湖 6.8平方km、河口湖 5.7平方km、本栖湖 4.7平方km、西湖 2.1平方km、精進湖 0.5平方kmとなっています。
富士山の周辺にいくつかの湖が形成されたのは、4~5千年前からと言われ、富士山の噴火などに伴って現在の形になったのは1100年前あたりと言われています。日本の古代から中世にかけて形成されてきたようです。
一番深く水量が多いのは本栖湖
面積では富士五湖の中で3番目ですが、最も深く、最も水量が多いのは本栖湖です。その最大深度は121mにも達し、水量を表す容積は328立方kmとなっています。面積が一番大きい山中湖と比べて最大深度は約9倍、容積は約5倍にもなります。山中湖の最大深度は13.3mと、実は富士五湖の中では一番浅いのです。
意外と標高が高い富士五湖
山梨県など富士五湖に近い所に住んでる方々ならご承知のことですが、全国的には意外と知られていないのが富士五湖周辺の標高の高さです。水面標高が一番高いのが山中湖で980m!1000m近くの標高の高さです。続いて西湖、精進湖、本栖湖が900m、一番低い河口湖でも830mとなっています。
東京都にある高尾山の標高が599m、ちょっと遠いですが筑波山の標高が877mですから、随分と高地にあることがわかると思います。
※富士五湖それぞれのデータは文末に掲載しておきます。
実は富士五湖ではなく富士八湖だった
江戸時代にまで遡ると、現在の富士五湖に明見湖(あすみこ)、四尾連湖(しびれこ)、須戸湖(すどこ)(浮島沼とも呼ばれた)を加えた八湖を指し富士八海と呼ばれていたそうです。昔の人々は湖を時に海と見立てそう呼ぶこともあった様です。
富士八海の始まりは?
富士八海と呼ばれ始めた起こりを調べてみると、江戸時代にまで遡ることができ、富士山信仰の「富士講」の霊場として広まったのがその由来と言われています。富士講の信仰の対象は富士山ですが、その霊場として周辺の湖を巡礼したのが起こりの様です。
富士講についてはまた機会を改めたいと思います。
富士五湖の始まりは?
では現在周知されている富士五湖という呼び方はいつ始まったのでしょう? 全国的にも有名なので、ずっと昔からそう呼ばれていたのではないかと思ってしまいそうですが、調べてみると近年、昭和になって命名されたものだったようです。
山梨県側の富士山周辺、今の富士五湖辺りの観光開発を進めていた富士急行株式会社(通称:富士急)の創設者が、新たな観光名所として語呂も良いことから命名し、それを機に富士急が広めたのが始まりの様です。
鉄道整備や富士急ハイランドなど、富士五湖にしっかり食い込んで観光地開発がされてきているのも納得です。
昭和に入ってから新聞社が企画した日本新八景に応募し、湖沼の部で1位になり全国に知られるようになったようです。
富士五湖と富士八海、ちょっと驚きでした。
歴史ある富士八海と近年の観光名所である富士五湖。改めて富士八海を巡ってみるのも楽しいかも知れませんね。
余談になりますが、富士五湖の内、自然流出する河川を持つのは山中湖だけで、他の四湖は河川を持たない内陸湖とされていたのも少し驚きました。ただ四湖についても、実はトンネルによる人口放水路が作られていて、水位の調整や発電に利用されているそうです。
富士五湖資料
名称 | 読み方 |
面積(平方km) |
湖岸線(km) | 最大深度(m) | 容積(平方km) | 標高(m) |
山中湖 | やまなかこ | 6.8 | 13.87 | 13.3 | 64.80 | 980.5 |
河口湖 | かわぐちこ | 5.7 | 20.94 | 14.6 | 55.50 | 830.5 |
西湖 | さいこ | 2.1 | 9.85 | 71.7 | 83.60 | 900.0 |
精進湖 | しょうじこ | 0.5 | 6.8 | 15.2 | 3.52 | 900.0 |
本栖湖 | もとすこ | 4.7 | 11.82 | 121.6 | 328.00 | 900.0 |
周辺にあるその他の湖
詳しく調べてはいませんが、天子湖、田貫湖、丹沢湖、東山湖、など、富士山に縁のありそうな湖はまだまだありそうです。芦ノ湖‥は箱根山だしカルデラ湖なので明らかに違うけど、調べてみたら面白そうですね。