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【歴史人物生存説を大検証!】怪僧の正体は「反逆者」か(後編)

生存説検証シリーズの第3話は、明智光秀です。

本能寺で信長を討った光秀は、その後豊臣秀吉に敗退します。ですが徳川家康に拾われ、「南海坊主天海」という僧侶として江戸幕府を裏で支えたという逸話があります。この天海という怪僧、少なく見積もっても数え108歳まで生きたという人物です。当時においてそこまで長寿命だった人は、滅多にいないはずです。もっとも真田信之も93歳まで生きてますから、うまいこと健康に気を遣いながら神通力を高めていけば、100歳超えも不可能じゃなかったかもしれません。

で、そんな天海があの明智光秀だったという説、実はかなり状況証拠に恵まれています。

目次

証拠は出揃っている?

よく言われるのが、「日光東照宮には桔梗紋がたくさんある」ということ。桔梗紋といえば、明智家の家紋ですね。しかも日光には明智平という地名もあり、これらを根拠として「光秀は本能寺の変以降は家康に仕えていた」と言われます。

ただ、「東照宮にある”桔梗紋”は先が尖ってないから桔梗紋じゃない!」という声もネット上でありまして、これを状況証拠にするかは意見が分かれると思うのですが、ここでは一応「東照宮の桔梗紋」を状況証拠として取り上げることにします。理由は簡単で、そのほうが面白いから。大体、この記事は頭の固い人たちのために書いてるわけじゃないですし。

あと、天海といえば徳川埋蔵金です。これはちょっとこじつけが散見されるんですが、「かごめかごめ」の歌詞の中に光秀=天海を表す意味の言葉があり、しかも同時に徳川埋蔵金の在り処まで示されているというものです。そもそも日光東照宮を設計したのは天海で、そのため日光の周囲にあるはずの埋蔵金も天海の指示で埋められた……というロマンあふれる話が今も囁かれています。

そういや昔、糸井重里さんが何台も重機繰り出して赤城山の麓を掘りまくってました。若い子は知らないと思いますが、その熱意ったらハンパないものでしたよ。まるでダイヤモンドの露天掘りみたいなやり方で、とんでもねぇ大穴開けちゃったってやつです。結局、あれ以来埋蔵金が出てきたっていう話は聞きませんけど。

すると、「光秀=天海説」も眉唾ものだっつーことに……。

秀吉をごまかせるのか?

澤田がすごく気にしてるのは、「かごめかごめ」とか東照宮の桔梗紋とかよりも、「落ち延びた光秀を家康が匿って何か得をするのか」ということです。

このあたりも前回書いた豊臣秀頼生存説と一緒で、「主君殺しの大罪人」である光秀を助けてやっても、結局は損しかしないような気がします。

信長が本能寺で最期を遂げたあと、彼の息子を巡って諸大名で争いが起こります。信長の次男信雄はどうにか豊臣秀吉を倒さんと、家康を頼って挙兵します。それが小牧・長久手の戦いにつながるのですが、もしこの時「父の仇である光秀が家康に匿われている」ということを信雄が知れば、それこそ一大事です。

それ以前に、秀吉の情報網が光秀のことを察知しているのではと澤田は思います。小牧・長久手でも実証されているように、秀吉は情報収集によって不利な戦況を覆す名人です。信雄がどのような性格で何を求めているのかということを知っていたからこそ、彼との間で和議を結ぶことができました。

そんな秀吉が、「実は生きていた光秀」を見逃してしまうとは到底思えません。

やっぱりバレちゃうんじゃ……

光秀生存説を真実とするならば、それは「秀吉の眼をごまかすことができた」ということです。そしてそんなことが可能かといえば、残念ながら限りなく不可能に近いでしょう。秀吉はそこまで甘い男ではありません。むしろ「光秀は生きている」ということくらい知っていなければ、天下など取れないのではと思います。

というわけで、光秀生存説は「バレる可能性が高い」という点でも疑問符がついてしまいます。秀頼生存説のように「巨体のせいで正体が分かってしまう」というわけではありませんが、何しろ相手が悪い。あの秀吉の前では、隠し事など一切できないのではないでしょうか。

以下、光秀=天海説の総合評価です。

今回の歴史連載は「あの人物の生存説を検証」ということでやってきました。

前中後編に分けて源義経、豊臣秀頼、明智光秀の3人を取り上げましたが、総じて言えるのは「実現性の低さ」だと思います。

一族のつながりを何よりも大事にするモンゴル遊牧民の中で、まったくの異民族である義経が頭角を現すことができるのか。あるいは恐るべき巨体の秀頼がその身を隠し通せるかという点で、どうしても問題が出てきます。またそれ以上に、秀頼と光秀は「生きていても誰も得をしない」ということも浮かび上がりました。

結局、この3人は史実通りの死を遂げているほうが自然であるわけです。これを言っちゃうと元も子もないのですが、「秀頼の墓」とか「東照宮の桔梗紋」とかいう要素は考慮に入れなくても特に差し支えないのではと澤田は考えています。

そもそも、桔梗の花を家紋にしてる家は決して珍しくありません。日本の秋を象徴する花なのですから、建物の装飾に桔梗がたくさん施されていても何ら不思議ではないのです。

ですが今回取り上げた3人に限定しなければ、「これは本当に生きていたのでは」と思わせるだけの人物は存在するかもしれません。とりあえず今回の連載はこれで筆を置きますが、生存説が囁かれている有名人は他にもたくさんいます。

さあ、次回は誰が連載の主役になるのでしょうか?

 

歴史人物生存説を大検証!シリーズ

歴史は「生存説」に満ち溢れています。日本史上、悲劇的な最期を遂げた人物というのは数多くいます。極めて優秀だったにもかかわらず、何かしらの理由で殺されてしまったというタイプの人物です。ところが後世の人々は、「彼は実は生き延びていた」「死んだはずの○○を、俺は見たことある」と言い立てて文学作品やお芝居まで作ってしまいます。さて、これらの生存説は一つの仮説として成立するのでしょうか?もちろんこれらの説には直接証拠はまったくなく、従って検証するとなると「話の整合性」や「可能性」のみに頼らざるを得ません...
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