【歴史人物生存説を大検証!】巨漢の御曹司、九州へ(中編)

【歴史人物生存説を大検証!】前編の源義経がチンギス・ハーンになったという説は、スケールは非常に大きいものの実現性の点からほぼ不可能だということが分かりました。

では次に、義経生存説に勝るとも劣らないほど有名な「豊臣秀頼生存説」を検証していきたいと思います。

これもたびたび言われていることですね。1615年の大坂夏の陣に敗れた豊臣ですが、秀頼と淀殿、そして真田幸村は大坂城の秘密通路から脱出しその後も生き長らえたというお話です。

これは果たして、「あり得ること」なのでしょうか?

屈強な人物だった!?

豊臣秀頼は、ある種そのイメージでかなり損をしている人物です。

「ひ弱なマザコン」という後世定着したイメージにより、小説でもドラマでも頼りない青年武将として書かれています。ですが、実際の彼の身長は何と6尺5寸、体重は43貫もあったそうです。メートル法換算だと、197センチ160キロという数字です。

これはすごいですよ! たとえばアメリカのプロレスラーに「殺人狂」キラー・コワルスキーという選手がいましたが、この人は198センチ120キロです。「人間摩天楼」スカイ・ハイ・リーが210センチ140キロ(ただし公称)、そして「モハメド・アリを投げた男」ゴリラ・モンスーンが195センチ158キロです。つまり秀頼は、あのゴリラ・モンスーンに肩を並べる体格だったということになります。

戦国時代当時の日本人の体格が平均で160センチも超えてなかったわけですから、その中にゴリラ・モンスーンを混ぜたらかなり目立ちます。正直、怖い!

そして肝心の武将としての能力ですが、実は巷で言われているほど情けないものではなかったと澤田は考えています。

戦術は間違っていなかった

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まず、大坂冬の陣での秀頼は籠城策を選びました。「野戦で徳川軍を敗退させる」という真田幸村が提示した案を却下し、大坂一帯の米を買い占め城に立て籠もったのです。

もし澤田が秀頼でも、この籠城策を絶対に採用しています。というのも歴戦の諸大名はみんな徳川についていますから、野戦に持ち込んだ時の確実性という意味で疑問符が出てくるからです。それに豊臣方の立場から見て、徳川家康はともかく彼の跡取り息子の秀忠は同じファミリーです。皆さんご存知の通り、秀忠の正室の江は淀殿の妹。そして秀頼の正室は秀忠・江の娘の千姫です。

家康と秀忠は千姫の奪還を言明していて、浅井三姉妹の次女の初にその交渉を任せていたという話は有名です。

そしてさらに付け加えるなら、秀忠は家康ほど決断力のある人物ではありません。戦争も強くなく、関ヶ原の戦いでは徳川本隊を率いていたにもかかわらず真田昌幸・幸村親子に足止めされてしまいました。

何が言いたいかというと、もしこの時点で齢七十を超えていた家康が自然死してくれたら、状況は豊臣にとって一気に有利になるわけです。

となると秀頼に残された選択は「時間稼ぎ」しかなく、そのためには籠城という手段が一番確実ということになります。

秀頼を匿うメリットは?

だからこそ、家康が死ぬ前に徳川と和議を結んでしまったことは致命的でした。

その後、大坂城は堀という堀をみんな埋められ、丸裸にされた状態で攻められます。ここに豊臣政権は完全崩壊します。ですがこの時、秀頼と淀殿は城の地下通路を使って逃げ延び、薩摩まで落ち延びたという生存説があるのです。

鹿児島市下福元町には、確かに「秀頼の墓」と伝えられているものが存在します。もちろんこれは「地元でそう言い伝えられている」というもので、果たしてそれが本当かどうかはまだ判明していません。でもまあ、状況証拠と言えないこともないかな。

薩摩は、徳川に積年の恨みを持っていた地域の一つです。関ヶ原では西軍に加勢し、その後も徳川と一戦交えることを想定した国造りを行っています。その一つが「外城制」です。

これは一言で言うなら屯田兵制度。普段は農業をして生計を立てている武士を、薩摩国内あちこちに配置することによって防衛ラインを構築するというものです。つまり、島津家は徳川と戦争する気満々だったということですね。

だからこそ徳川も、島津が江戸へ攻めてくることを想定して要所要所に譜代大名の城を置いています。これは言い換えれば、徳川幕府は「島津が挙兵する可能性」を最後までゼロにできなかったということです。そのツケは19世紀後半に爆発します。

で、こうした状況下で島津が秀頼を匿ってやるメリットが何かあるのか、という疑問が湧いてきます。

徳川も島津も互いに防衛ラインを構築したということは、逆に言えば「攻める気はない」ということ。なのに今さら「相手の侵攻を許してしまう要素」を付け加えるようなことをするのか、と澤田は考えています。

平たく言えば、「秀頼を匿っても邪魔にしかならない」ということです。

やっぱり無理かも……

また、ゴリラ・モンスーンみたいな巨体を持つ秀頼が「誰にもバレないまま薩摩に逃げた」ということはまず不可能なんじゃないかと思います。

これはかなり偏屈な発想かもしれませんが、ジャイアント馬場さんがグリーン車のある長距離列車以外の鉄道に乗らなかったのと同じ理由で、秀頼みたいな巨人がどんなに変装してもすぐにバレてしまうはずです。「おいお前、秀頼だろ? 百姓の格好なんかしたって無駄だ!」みたいに。

馬場さんも人並外れた巨体を持って生まれたために、どこに行っても他人からの好奇の眼で見られ続けるという「悲しみ」を味わっています。秀頼も大坂城を一歩外へ出たら、そうした視線を集めてしまうのは確実です。

従って、「自身の隠匿」は絶対に無理と考えていいでしょう。

秀頼グラフ

◆歴史人物生存説を大検証!シリーズ
【歴史人物生存説を大検証!】牛若丸こと源義経は草原の王者になったのか?(前編)
【歴史人物生存説を大検証!】巨漢の御曹司、九州へ(中編)
【歴史人物生存説を大検証!】怪僧の正体は「反逆者」か(後編)