パセリの栽培地は、船橋薬円台が日本で最初だった!

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こんにちは、編集部の菊田です。
3分休憩スタッフが働く船橋市は、掘り下げると意外な歴史がある町なんです。今回は、船橋みらい大学で開催した「薬円台の誕生日~日本最初のパセリの栽培地~」の講義に参加してきました。そこで教えて頂いたパセリのお話しをご紹介したいと思います。

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この講義をして頂いていたのは、船橋の歴史に詳しい「正伯塾」代表の奥田健造先生です。今回のお話しの舞台は、船橋市薬円台。

この船橋の土地が、日本で最初にパセリの種を植えた場所だと先生は仰っています。

遡ること享保十年(西暦1725年)の江戸時代。8代将軍徳川吉宗は、財政悪化と民衆の生活を高める目的で、本草(薬草)、朝鮮人参などを国内生産できるように栽培・試植する場所をもともと江戸にあった小石川御薬園とは別の場所に薬園を作る計画を立てました。その計画が立てられたのが、現在でいう船橋市薬園台1~6丁目ぐらいまでの約30万坪の土地、下総滝台野薬園(正伯新田)です。この広さは、小石川御薬園の敷地の6.7倍と言われており、広大な土地だったことがわかります。

この下総滝台野薬園(正伯新田)と呼ばれる地に本草(薬草)、朝鮮人参を国内生産できるように幕府の命令を受けたのが、丹羽正伯と桐山太右衛門の男たちです。丹羽正伯は、もともと将軍や家族をみる医者で旗本、桐山太右衛門は、江戸日本橋町で薬種問屋をしていたと言われております。

本草(薬草)の種ってどこから輸入されていたの?

当時、「祖法」として固守された鎖国政策の中だったと言われていますが、ヨーロッパ諸国の中で唯一オランダと長崎は、貿易が許されていた国で、そこから本草(薬草)の種が輸入されていたようです。この輸入された本草(薬草)の種、15種類が幕府に渡り、そこから丹羽正伯と桐山太右衛門が、薬円台の土地に種を蒔きました。

この十五種類の本草(薬草)の種の中にはパセリの種が!!

~紅毛薬草之種より~

1.セイメン ヒイトロセイクニ(セイメン ヒトロセイリン)
 ★この種がパセリです。

2.セイメン クミイニ (馬芹)

3.セイメン カルダミイ (カモミール)

4.セイメン ヘニクレ  (ウイキョウ)

5.セイメン ダウチイ

6.セイメン アミコス

7.セイメン アヒヨム

8.セイメン ニガレイ

9.セイメン アクネカステ

10.セイメン カアルへ

11.セイメン レヘステチイ

12.セイメン エニスタ

13.セイメン アネイシ

14.セイメン カルトエベネテキラ

15.アツフセンテ
 

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写真提供:PIXTA

実は、この薬草の種の中には、パセリの種がありました。

セイメン ヒイトロセイクニ(セイメン ヒトロセイリン)★

セイメンとは、ラテン語で○○の種という意味です。
ヒイトロセイクニとは、パセリを意味します。解読するとパセリの種ということがわかります。約300年近く前からパセリの種がこの船橋の地に植えられていたようです。そんな昔から日本にパセリを植えていた場所はなかったそうです。普段、食事の飾りなどでよく見かけるパセリは、今の船橋市薬円台の地が日本で最初に栽培されたところだったのです。

実は、このお話には続きがあり、残念ながらパセリの種などほとんどの薬草は、船橋薬園台の土地や環境に合わず、上手く育たなかったようです。現在の船橋では、小松菜やニンジンなどが有名ですが、昔は色々な食料を国産化しようとしていたのです。
まだまだ、調べれば船橋は意外な歴史が眠った街のようです。

【講師】 正伯塾代表 奥田健造氏
サラリーマン、会社経営、会社顧問を経由し、70歳から郷土史、特に地域学の調査・研究開始。昨年6月に「正伯塾」(市団体登録0610)立上、代表就任。地域学と世代間交流事業の推進。団体は、正伯塾 代表そして、世代間交流がどうすれば広範に活動できるシクミを模索しています。

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