【農業大国・日本】太閤検地は善政だった(後編)

「パイオニアの悲劇」という言葉を、歴史家から聞くことがあります。

開拓者、言い換えれば「凄いことを一番最初にやった人」は、その功績がなかなか世間に認知されません。「コロンブスの卵」もそうですが、誰かが前人未到のことをやっても大衆からは「何だ、そのくらいなら自分にもできる」と言われてしまいます。

そうしたパイオニアは、日本史上にもたくさん存在します。

単眼経済の悲劇

日本の農業には「プランテーション」という概念がありません。

プランテーションとは、広大な土地に安価な労働力を送り込んである一種類の作物を生産する手法を指します。運営するのは大企業や国家といった「力ある者」です。そこで大量生産されたものは、世界中に輸出されます。

たとえば、インドネシアの場合はアブラヤシのプランテーションが問題になっています。そのアブラヤシの実を加工して食用油やマーガリンを作るのですが、プランテーション建設のためには熱帯雨林を開墾しなければなりません。ですから、ジャングルに火を付けて木々を灰にしてしまうのです。

スマトラ島でもそうした焼畑農業が行われ、その煙がマレーシアやシンガポールに大気汚染被害を与えているというとんでもないニュースもあるほど。

そもそもプランテーションで働く農民は、「農業のプロ」でも何でもなく「単純労働者」に過ぎません。ですから「焼畑農業なんてやめようよ!」と言っても、「じゃあ他にどんな手段があるんだ?」と返されてしまいます。代替農法を開発できるだけの知識が、彼らにはないのです。

そしてプランテーションのもう一つの弊害は、国や地域がモノカルチャー経済に陥ってしまうということ。

西アフリカのコートジボワールは、1960年にフランスからの独立を果たしました。その時大統領に就任したのは、フェリックス・ウフェボワニという人です。彼は当時高値で取引されていたカカオに目をつけ、コートジボワール各地にカカオプランテーションを建設させました。

ウフェボワニの政策は、最初の20年ほどは大成功を収めます。周辺諸国を出し抜いて経済成長を遂げたのです。ところが、コートジボワール産のカカオがあまりに市場へ流出しすぎたため、カカオ自体の価格が下落してしまいました。

結局これがコートジボワールの弱体化を呼び、ウフェボワニ死後は内戦の道を突き進むことになりました。

豊臣秀吉の大功績

日本でも、こうしたプランテーション農業に近いことがかつて行われていました。

実は安土桃山時代まで、日本の農業は大手の利権団体が牛耳っていました。土地の耕作権は地元の豪族や寺社勢力が握っている状態で、小作人は自分の好きな作物を育てることができなかったのです。

それを改めさせたのが、豊臣秀吉の「太閤検地」。秀吉は「一つの土地の耕作権は、一人の小作人にのみ与える」と明言しました。この時点で日本の農業は、モノカルチャー経済に陥るシナリオを見事回避したのでした。

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そういえば、この太閤検地も少し前まで「圧政の象徴」のように言われてきました。全国の農地の広さを明らかにすることで、そこから年貢を絞れるだけ絞る……というイメージが太閤検地にはありましたが、実態はむしろ逆です。検地に伴う度量の統一化が進められ、日本の農業は大幅に効率化しました。

これはまさに「コロンブスの卵」ではないでしょうか。

度量の統一というものが、いかに大変か。現代のアメリカやイギリスですら、メートル法廃止を目指す市民運動があります。総合格闘技UFCも、選手の身体計測をヤード・ポンド法でやっています。それじゃあパンクラスとか日本修斗協会とかの日本のMMAコミッションが、UFCのフロントに「次の大会からメートル法を採用しようよ。そのほうが選手の互換性が利くし便利でしょ?」と言ったとします。ですがUFCからすれば、よその団体にそんなことを言われる筋合いはないわけです。

ましてや戦国時代は、それぞれの地域が「国」として主体性を持っていました。しかも皆武装していたのですから、度量の統一はそれを上回る力を持っていないと不可能だったのです。

そして現代に至る

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こうして日本の一次産業は、より価値のある作物を他種類に渡り生産するという方向性を確立させました。

しかもそれは、武田信玄が実行したような「多少の地理的不利をどうにか克服する」という条件も付加されています。

インドネシアのメディアには、しばしば日本の農業のことが話題になります。特に注目されるのは、日本の農作物の値段。毎年4月に行われる宮崎マンゴーの初競りは、インドネシアでも報道されます。

何しろ、宮崎マンゴーは2玉1箱に20万円という値段がつきます。これはインドネシア人にとっては、まさに衝撃です。そもそもマンゴーは熱帯の植物ですから、本来ならば日本よりインドネシアのほうが地理的条件は圧倒的に有利のはず。

ですが先述の通り、インドネシアの農業は「経営者と派遣社員」しか存在しないプランテーション農業が主流です。ですから農閑期になると、農業従事者は都市部へ出稼ぎに行ってしまいます。その間に農法の研究をする人がいないのです。

それはインドネシアにはオランダ植民地時代という悲劇があり、そのため信玄や秀吉、家康のような執政者が現れなかったことも要因の一つかもしれません。逆に言えば、日本はそうした優秀な政治家に恵まれていた時期があり、今に至る時代の道を舗装したのは他でもない彼らなのです。

我々の国は、世界有数の「農業大国」だということを忘れてはいけません。

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